第二十話 海の底に眠る神
「ケケが……食われた??」
サファイアがキャピィ族の子どもたちの言葉を聞き返す。 先ほどからすすり泣くだけの子どもたちに、ピッチが駆け寄り手を握る。
「大丈夫だよ、ちゃんと落ち着いて、ゆっくり話してよ」
「うん、あのね……」
先ほどまでのケケは、ドロッチェに言われるがままに金魚鉢を手に外へと出て行ったはずだった。 そして――近くにいた子どもたちのボールが彼女の足元に転がっていき――。
「ケケ姉ちゃんが、ボールを拾って投げようとした瞬間に――」
『――え?』
ボールを振りかぶったケケの背後には、なぜか宙へと浮かんでいる金魚鉢の姿が。 それは、キャピィ族の子どもたちもしっかりと目撃していたという。
「ぜったいに!! 見間違いじゃないよ」
「わたしも見た!! 金魚鉢がケケ姉ちゃんを食ったんだ!!」
子どもたちはやいのやいのと一斉に叫んでサファイア達に駆け寄った。 金魚鉢をやっつけて、ケケを助けてと次々と追い立てて口走る。
「ドロッチェ、あの金魚鉢――誰からもらったのサ」
子どもたちに帽子や羽を引っ張られながらも、マルクはドロッチェに問いかける。 ドロッチェもまた、緋色のマントを引っ張られつつもマルクの問いかけに答える。
「ああ――押しかけ売りだよ。 ちょっと前までここに来ていた」
「なら、その押しかけ売りのところにケケがいるかもしれない、ってこと?」
ピッチのその結論は当然の帰結だろう。 ただ、この金魚鉢が本当にどこから来たものなのか分からない以上、結論に至るには早かった。
サファイアは、金魚鉢を抱え込み、『真紅の窮鼠』を飛び出した。 マルクたちも、後からついていくように走り出す。
「こういうのはまず――アイツに任せよう」
――七彩の暴食――
サファイア達は、二手に分かれた。 まず、ケケが町のどこかにいるかもしれない可能性。 ボンカース達『森林の暴君』の様な違法なギルドがケケをさらった場合、まだそう遠くまで行ってないかもしれない。
「そのため、ピッチとマルクは空からケケを探してくれ。 怪しい奴を見つけたら、絶対単独行動せずに、すぐに俺たちに連絡する」
「分かったのサ」
サファイアの提案に、マルクはすぐに頷いた。 ピッチもそれに同意すると、彼なりの疑問をすぐ続ける。
「サファイアとドロッチェはどうするの」
「ドロッチェは、子どもたちを家まで送ってくれ。 俺はギルドに戻って――この金魚鉢を、ネスパーのやつに鑑定してもらう」
ネスパー。 彼は七彩の暴食に登録してある魔導士の一人、サファイア達もよく知る仲間だ。
一つ目が描かれたフード付きの装束を付けた、ギルドの中では年少で、小柄の体格。 決して力仕事などは得意なほうではなかった。
しかし――彼は七彩の暴食の皆とは違う、魔導士としてある力を有していた。
「……なるほど、ドロッチェさんのギルドにあったこの金魚鉢に、ケケさんが入ってしまったと」
「ああ、俺も子どもたちから聞いたんだけど――まだ信じられねえが」
サファイアが半信半疑で苦虫を嚙み潰したように答えるが、事実ケケが見つかったという報告はまだピッチとマルクから聞いてはいない。 と、なると子どもたちの話は嘘ではないと睨むのが筋だ。
「確かに、この金魚鉢には特殊な魔法がかけられています。 ププビレッジとは別の場所の空気が感じられる」
「空気?」
「はい、これは空間と空間がつながってます。 今は閉じてしまってますが」
ネスパーのその言葉に、七彩の暴食に残っていたメンバーたちは狼狽える。 ネスパーの話が信じられない者半分、理解が追い付かない者半分といった様子だ。
「それで、ケケがどこにいるのかわかるのかい?」
ブレイドが心配そうにカウンターから身を乗り出して問いかける。 彼女は、ケケがチームを組んでるサファイア達とは別にケケと懇意にしていた関係だ。 彼女自身、ケケを妹や娘のように可愛がっていた。
「ドロッチェさんへ、この金魚鉢が売りつけた人がこの魔法を作った張本人――つまり、売人イコール犯人だった場合」
ネスパーが一つ指を立てて答える。 その場合は『魔法をかけた人のところに行けばケケがそこにいるかもしれない』。
「それだと、すぐに解決できます。 ですが、この金魚鉢が中古市や、誰かから誰かに譲ってその結果ドロッチェさんのところに来たというなら、その分魔法の『空気』と同じ場所をしらみつぶしで探さないといけない」
「わかった。 ネスパー、すぐにその空気って奴が幾つあるか教えろ」
サファイアが、ネスパーにせかした。 彼がここまで急ぐことなど、早々ない。 ネスパーもサファイアの気迫に迫られ、すぐに返事をする。
「は、はい。 今読み取った空気の中でここから近い場所は――」
「あんた達、ネスパーが読み上げる場所に連絡先知ってるメンバーがいたら連絡しな!! 皆でケケを探すよ!!」
ブレイドの啖呵に、暴食に集まっていた魔導士全員が外にいる仲間に連絡を始める。 彼らにとっても、ケケは大事な仲間、このまま見捨てるわけにはいかないし――何より。
――ケケちゃんを俺たちで助ける事ができれば――
なんて、この事態にそんな事を考える者は流石にいないだろう――流石にいない、そう信じたい。
そんな中、ブレイドもギルドの裏に回ると電話を取り出した。 彼女が一番よく知る、ギルドの中で最も信頼できる男にも、ケケ捜索の手助けを――。
『おかけになった番号は、現在電波の届かないところにあるか――』
「クソッ、あのクソ旦那。 いつもいつも大事な時に電話に出ないっ」
ブレイドの舌打ちも聞こえる中。 七彩の暴食の入り口が勢いよく開かれた。 その音に、みんなが注目する。 真っ赤なシルクハットに、マント。
「ガキどもは送り届けた。 お嬢ちゃんの件はウチのギルドで起こった事でもあるしな。 サファイア、俺にできることがあれば何でも言え」
ドロッチェだ。 彼らも知っている、『七彩の暴食』とは別のギルド『真紅の窮鼠』のマスターだが、彼らの知っている彼は無気力で毎日寝ているだけの自堕落な男だったが。
「ドロッチェ……ナイスタイミングだ」
サファイアが、ネスパーの横から立ち上がり、携帯を取り出した。 ネスパーもガッツポーズをして、何かをすました様に笑みを浮かべる。
「やりました!! この空気は――西海岸オレンジオーシャン!! そこにケケさんがいます」
ケケの居場所は、掴んだ。 ここから先はサファイア達の出番だった。
「ピッチとマルクを呼び戻す。 準備してすぐに出発する!!」
第二十話 海の底穴に眠る神
――冷たい。
冷たい、冷たい、冷たい。 ケケの意識は指先から髪の毛の神経にまで冷えるような感覚に襲われる。
いつの間に閉じていたのだろうか、瞼をゆっくりと開ける。 きらりと光りが揺れて幾つも差し込むと、口の中から気泡が一つ二つと漏れ出る。
ゆっくりと、右手を真上にかざした。 いや、今の彼女には上下左右の間隔はない。 腕をかざした先が空なのか地面なのかも区別がつかない状態で、彼女は事態の把握をゆっくり呑み込めなかった――が!!
「がぼっ!! こぼっ、ぷはぁ!!」
水だ!! 今自分は水の中にいる。 ケケはすぐ様事態を把握するともがくように両手をかき分け、足をばたつかせる。
だが、そんな事をしていても彼女の体力はいたずらに消耗されるだけ――自分の身体が、重くなっていく感覚ともがいてもあがいてもどうしようもないと気づいたその時に――。
「うわっ、きゃっ!!」
ケケの身体は、突然水中から外に放り出された。 目の前には、海岸の様な砂いっぱいの地面と、そこからまるで木々のように生えていくサンゴの群れ。
そこに顔から突っ込むと彼女の周りに砂ぼこりが一気に舞い上がる。 幸い、石や貝殻は砂の中には入ってないのか、顔は傷つかずに済んだものの。
「……うぇぇ。 口の中に砂がぁ」
舌を出して咳をするように口の中の砂を吐き出す。 黒装束にも付着した細かい砂を手で払うと、彼女は立ち上がりあたりを見渡す。
「……魚?」
ケケの周りは、確かに先ほどまでいた水の中に魚たちが優雅に泳ぎ回っていた。 つまり、何らかの形で水の中に入ったケケは、この空気のある空間に脱出する形で落ちたのだ。
「おやおや、また客人が来たのかい。 これで何人目だ」
ケケはその声を聞こえた方角に、身体を向ける。 そこには、青い鎧と、ピンクのボクシンググローブの様な手袋をした女が立っていた。
「あなたは――確か森林の暴君の」
「おや? そういうアンタはあたし達の詐欺にかかりそうだった――ケケって言ったかな」
ケケは彼女を知っていた。 幸か不幸か、ケケはこの女の所属するギルドが起こした事件のおかげで、サファイア達との現在があるのだ。 そう言う意味では、腐れ縁のきっかけでもある。
「アイアンマム!! あなたがこんな事をしたのね!!」
ケケは警戒心を高めて攻撃態勢を整える。 アイアンマムは両手を挙げて、ケケに敵対心はないとのポーズをとった。
「違う違う。 あたしらはもうギルドとして働けないし、もう今更仲間もいないから悪さもできないさ」
「……それじゃあ、どうしてここに」
「アンタと同じさ。 金魚鉢に吸い込まれて、ここに来た」
アイアンマムとケケの間に、静寂が支配する。 それを打ち破るように、二人の間に空き缶が落ちてくる。 この静寂を打ち破るゴングの様に。
「他にも、いるようだよ。 アンタとあたしの様にこの世界に連れてこられた『魔導士たち』は」
「連れて――こられた??」
ケケがあたりを見渡すと、確かに先ほどまでケケとアイアンマムしかいなかったはずの砂場には、何人もの魔導士の様な人々が辺りをうろついていた。
この状況に、戸惑うもの、泣くもの、怒り叫ぶもの――ケケが見る限りでは反応は様々だ。
「……ここにいる人たち、みんな金魚鉢に??」
「あんたも、聞いたことがあるんじゃないか? 『色んな街で、人がいなくなってる』って事件」
アイアンマムのその言葉に、ケケはハッとする。 つい先ほどまで、『七彩の暴食』や『真紅の窮鼠』でその話題は持ちきりだったのだから。
「そんな――これって、本当に魔導士誘拐事件なの!? 何の目的でぇ!!」
ケケがそう叫んだ途端に、空から大きな影が彼女たちを覆うように出てきた。 水中である以上、空という表現は適切ではないかもしれないが。
そこには、大きなチョウチンアンコウの様な姿をした大きな男の姿が一人。 横には、従者なのか、タコやイカの姿をした者たちが彼のそばをついていた。
「フロッツォ、スクイッシー。 これが今回集まった者たちじゃの」
「はい、スイートスタッフ様。 彼らが、今回の『掃除』に関わる者たちです」
スイートスタッフ。 そう呼ばれたチョウチンアンコウの男は、鋭い目つきで集められた魔導士たちを見下ろした。 そこにいる彼らは、何が始まるのかとのどを鳴らし、反撃をうかがう。
「おっと、余計な真似はしないほうがいいぞ。 今の諸君は、スイートスタッフ様の『お慈悲』で空気のある空間にいられるのだ」
「地上にいる奴らなんて、水の中で十分も息が続かないんだもんなぁ!!」
フロッツォとスクイッシーは、魔導士たちを制しつつもあざ笑う。 既に魔導士の生殺与奪はこちらにあると言わんばかりに、勝ち誇った様子だ。
「一体、何のつもりだ!! 俺たちをここに集めて!!」
集められた魔導士のうち一人が、臆せず叫んだ。 その言葉を、待っていたかのようにスイートスタッフは負けないように大きな声で張り上げた。
「私の名はスイートスタッフ!! この深海の国の王である。 この国は兼ねてよりきれいな国だったが、近ごろ地上の者たちの目に余る態度により、日々ゴミがここにたまってきてる!!」
「これが、僕らの世界のここ最近の『天気図』だい!! よく見やがれ地上のクソ野郎ども!!」
フロッツォが新聞の様なものの切り抜きを、魔導士たちの目の前に突き付けた。 そこには、天気図や一週間の予報の様なものが書かれていた。 ケケとアイアンマムも、それに目を通し眼を白黒させる。
「えっと……降塵(こうじん)確率、六十パーセント……晴れ時々ゴミ……これって一体」
「お前たちが捨てたゴミの事だよ。 ネコ耳の小娘」
スイートスタッフの目つきが鋭くなり、ケケを睨む。 魚の威圧感ある目つきを見るのは初めてだ。 ケケは思わずたじろいで、アイアンマムの背後に下がる。
「アンタ、さっきまであたしに対して強気だった態度はどこにいったのさ」
「だってぇ……魚のアニマの怒った目なんて初めて見るんだものぉ……」
ケケのそんな怯えようにも目もくれず、スイートスタッフは演説を続ける。 ここに、ケケ達を連れてきた理由だ。
「今話した様に。 お前たちが捨てるゴミで海の底は最悪の環境だ!! だから、今日はこの国のみんなでゴミ拾いの日!! お前たちはついでに連れてこられる事になった――まぁ、運の悪いボランティアだ」
スイートスタッフの目つきは、かなり威圧感がある。 ケケが怯えたその目つきは、他の魔導士たちのブーイングをかき消すにも十分すぎるものだった。
「――手伝って、くれるよなァ??」
もう、手伝うしかない。 今ケケ達がいる空間は、空気があるが。 一歩外を出れば彼女たちではどうする事もできない海の底だ。 帰るにも、スイートスタッフらの言うことを聞いて、早く事を終わらせることが最善だった。
――ケケ達は、それぞれ分担してゴミの収集をやらされる事になった。 しかし、初めての場所ではあったためスイートスタッフ達海の国の住人たちはケケ達に『ここのごみを集めろ』と丁寧に地図を渡して案内してくれる。
ケケの様に、水中で呼吸のできない者は空気のある空間――先ほどケケ達が集められた広場の様に、地上のモノでも活動ができる場所も海底の人たちが住んでいるらしい――でゴミ拾いをさせる配慮もしてくれた。
「うわー、すごいボロボロの空き缶。 これ何年前のものなんだろ」
空き缶を拾い上げて、ケケは用意された袋の中に放り込む。 すぐそこには、横になって一休憩してるアイアンマムの姿があった。
「ちょっと!! 始まってすぐに休憩してる!! 怒られますよ!?」
「いいじゃないかぁ、ケケちゃん。 アタシはこの『掃除』ってのに、疑問があるんだよ」
アイアンマムが近くの岩場に足を組んで座り込むと、ケケはそんな彼女を睨んで掃除の手を止める。 アイアンマムの手にはまだ薄っぺらいゴミ袋。 ケケのゴミ袋は、既に幾つか空き缶やプラスチック容器が入っていて容量がかさんでいた。
「疑問……??」
「集められたメンバーさ。 本当に、ただのゴミ掃除のために集めたなら、この話も納得したんだがね」
アイアンマムが遠くにいる掃除を参加させられた魔導士たちに次々と目を向ける。 アイツも、コイツも、あの子もと、アイアンマムは口を開く。
「みんながみんな、電撃系を扱える魔導士ばかりなのさ。 アタシも実はそうだしね」
「ど、どうしてそんな事を知ってるの!?」
ケケはアイアンマムの観察力――洞察力に驚かされた。 そんな彼女の率直な感想に、アイアンマムは高笑いをして答える。
「あっはっは、『森林の暴君』がどんなギルドだったか、アンタも被害にあったろ!? 万一のために『金になりそうな能力を持つ魔導士』はリストアップしていたのよ!!」
そんなアイアンマムの、誇らしげな笑い声にケケは心底見下すような目つきで睨んだ。 溜息を吐いて、一言。
「そんなの、偉そうに言う事じゃない」
「まぁね。 アンタは真っ当なギルドに入ったようだし、アタシら『森林の暴君』みたいなのと極力かかわるんじゃないよ」
アイアンマムはゴミ袋を手に取って、岩場から飛び降りる。 ケケの肩をそっと叩いては、マムは足元に落ちていた空き容器をゴミ袋の中に入れた。
「折角あんな楽しそうなギルドに、入れたんだからね」
――そして、ここは海底のとある場所。
「スイートスタッフ様、魔導士たちの数は――です」
「よし、そうか。 それじゃあ数は足りてるわけだな」
スイートスタッフたちの様子は、先ほどとは全くの別物だ。 光の届かない暗い場所で、彼らは誰もいないのを確認しながら底へと下りながら会話をしている。
「はい、目的は順調です。 奴らが疲れ果てたその時が、チャンスです。 海神様を起こすほどの光など、彼らほどの魔導士をかき集めなければ、作れませんから」
「それもそうだ。 さて――もうすぐだ、我々が地上を支配する野望をかなえるまで!!」
スイートスタッフが見つめる先。 巨大な物体が、静かに眠っていた。 彼らの体躯の何倍もあるその物体は――スイートスタッフの頭の先にある提灯の光でも完全には見えないほどの大きさだった。
「ファッティホエール様!! もうすぐです!! 朝日の様な輝く光を浴びて、我々の力になってください!!」
――ケケ達が集められていた、広場。
ケケ達がゴミ掃除のために散らばった後に、一人の男が大の字になって横たわっていた。 彼も、ケケ達と同じようにこの場所に集められた者のはずなのだが。
「ああ、いかん。 寝てた――うわっ、ブレイドから着信めっちゃ来てる」
懐から取り出した携帯の着信履歴を見るや否や、彼は慌てていた。 暫くうなりながら、鼻をかいていると――決断したようだ。
「いいや、面倒だ。 後で出よう」
携帯を懐にしまい立ち上がる。 腰には剣が一つ、翡翠の鎧をまとった男は、ゆっくりと歩きだす。 ――その彼の目的とは――。
「サファイアのやつに、あの話早くしねえとなあ」
ソードナイト、ブレイドの旦那で。 『七彩の暴食』の最強の男の一人と、言われている。