号笑 第七章 「猫井順の残酷」
いつまでテレビを見ていたんだろう。憎しみと失望が混ぜ合わさってできた魔力のようなものに酔わされて、テレビから目を離すことができなかった。やっと隣にいる夏野とその友人…北川の方に目を向ける気になったのは、例の『通り魔事件』のニュースが終わったときだった。
「…ごめん。」
せっかくお見舞いに来てくれたのに、待たせてしまった。こういうときはすぐに謝る方がいいだろうと判断した末の言葉だ。
「いや、その…全然いいよ。大丈夫。」
気の弱い、実に夏野らしい返事が返ってきた。
すると、すかさず北川が言った。
「ハニー待たせるとかさいてーだよ、猫井クン」
最低なのは認めるが、ハニーとはなんのことだろう。もしかして夏野のことか。この誤解は解いた方がいいのだろうか…、よくわからないが、今はそんなことを考えている余裕はない。
「ちょっ、猫井くんの前でハニーとか言うのやめてよ!」
夏野が俺に聞こえないように小声で北川に注意するが、全くもって筒抜けだ。しかし、お構いなしに夏野は俺の方に向き直って言った。
「あ、ごめんね!それでね、その…お、お見舞いにきたから…えと…これ!お菓子と、あの、その、お、お花をね…………」
途中で口籠ってしまった夏野の言葉を、北川が続けた。
「…持ってきたから、猫井くんに受け取って欲しいんだって!」
夏野の手には白い箱とその上に小さな向日葵が六輪あった。
「…ああ、ありがとう。なんか悪いなあ…こんな遠いところまで、俺のためなんかに。」
「ううん、その、か、勝手にきただけだし…うん。」
夏野のどもりがひどくなっていることを感じたのだろう。北川は心配そうに、
「ねえひまり、大丈夫?緊張してんの?お茶飲む?」
と、ペットボトルのお茶を差し出した。
「あ、いや、その…ありがとう。」
お茶を飲んで一息ついてから、また、夏野が口を開いた。
「あのさ、私、すごく心配で…そだ、け、怪我の調子どう?だ、大丈夫…かな…?」
「まあまあかな。まだ少し、ベッドの上からは動けない。」
「あ、そうなんだ…その、ひどいよね。な、なんでこんなこと、するんだろうね。通り魔事件の犯人…早く、捕まるといいね。」
どもっている最中の夏野の声は、なんだか少し泣いているように聞こえる。…まあ、彼女にとって泣く事は、笑う事なのだけど。
「…そうだね。」
そう言って少し笑ってみせた。夏野は、愛想良く笑顔を返したが、北川は珍しいものを見るように目を丸くしていた。
そしてしばらく、3人でたわいの無い話をして、その日は別れた。病院では甘味は滅多に貰えないので、お菓子を貰えたのは嬉しかった。向日葵は、とりあえずベッドの横につけられている棚に飾ることにした。可憐な黄色い花びらを眺めながら、俺はさっきまで見ていたニュースの内容を思い出していた。
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テレビの中で、さめざめと泣きつづける自分の母親。弟は状況がよくわかっていないのか、母親の手を握って、あっけらかんとしている。今は、『通り魔事件被害者家族へのインタビュー』のコーナーらしい。
「どうしてあの子があんな目にあわなきゃいけないのよ!ただただ、悔しいですっ」
マイクを向けられた母親は、なおも一層哀れそうに嘆きながら言った。
その様子を睨みつけながら、母親への憎しみと、一向に本当の犯人に気づく気配がない警察への失望感が募っていた。
一体どの口が言っているんだ。
俺を包丁で刺したのは、お前だと言うのに。
続く