号笑 第六章 「夏野陽毬のおみまい」
『〇〇市の路上で、〇日夕、少年が刃物のようなもので刺されるなどし、怪我をしました。なお、命に別状はないそうです。警察は、連日報道中の通り魔事件との関係を…』
テレビの電源を切った。さあ、学校に行こう。
* * * * * * * * * * * * *
燦々と日差しが降り注ぐ。まだ、夏だなあ…。なんて思っていると、
そういえば、と一緒に登校中の日奈子が話し始めた。
「ねえ、昨日さ、ふと気づいたんだけど。」
「なあに?」
首を傾げて日奈子を見つめる。日奈子は、今日は短い髪を三つ編みにして後ろでひとくくりにしている。小さな黒いリボンがチャーミングだ。
「猫井とひまりの共通点。」
のんびりと日奈子の髪型を眺めていた私は、予想外の話題に面食らった。
「え、なになに?めちゃくちゃ…ちょっと気になる」
「どっちよ」
「ほんのちょっと気になる。」
本当はすごく気になるのだが、また日奈子に茶化されるのが嫌だったので、誤魔化した。
「あのね、ひまりん家(ち)ってさ、母子家庭でしょ?」
「え、うん。」
確かに、私の家は母と二人暮らしの母子家庭だ。
父は、物心つく前からいないらしい。
「なんと、猫井んとこもそうなんだってさ」
「ええ…そうなんだ。」
なんとも触れにくい共通点である。もっと、同じ箇所にほくろがある、とかの気軽な共通点であってほしかった。
「そっ…かあ…」
すごく触れにくかったので、それだけで流しておいた。
学校に着き、教室に入る。
「一時間目、なんだっけ」
「数学〜」
「やだなあ…」
たわいない話をしていると、先生が入ってきた。
「みなさん、大事な話があるので、すぐに席に着くように。」
なんだかものものしい雰囲気で、担任の大林先生が言った。
大林先生は、社会担当の女の先生だ。授業がとてもわかりやすいと、多くの生徒から支持を得ている。
「せんせー、まだホームルームの時間じゃないっすよ」
しぶしぶ席につきながら、1人の男子が不満そうに言った。
「大事な話です。」
大林先生はそう言ってから、話を始めた。
「みなさん、知っている方は多いと思いますが、最近物騒な…通り魔事件が近所で数件起きていまして。」
通り魔事件…ああ、そういえば最近よくニュースで見ることが多いな…。いつ見ても、いきなり人を刺すなんて、考えられないと思うだけだったけど。なんで今更このタイミングで先生はこの話をするんだろう。不吉な予感がした。
「実は、昨日うちの生徒も被害を受けたようなんです。」
緊張した面持ちで先生がそう言うと、クラスはざわめいた。誰だろう、と言う声も聞こえた。
「犯罪や、それによる危険は案外近くにあるものです。みなさん、登下校中は必ず友達を誘って、2人以上で帰るようにしてください。それと、寄り道は一切禁止です。」
寄り道は禁止、の言葉に大多数の生徒が不満を漏らした。しかし、大林先生は、
「刺されたいのであれば、呑気に道草食ってればいいじゃないですか」
と、釘を刺した。
一時間目の数学が終わった後の休み時間。廊下で、通り魔事件の被害者について話し合っていた。しかし、スーパー情報通の日奈子にかかれば、一瞬で被害者の目星はついた。
「…やっぱ、猫井くんだよ」
「なんで?」
と私が聞くと、
「だって、今日休みなんだってさ。あいつ、ずっと今まで一回も学校休んでなかったのに。」
「たまたま…じゃない?」
今日に限って急に休むわけはない、と私も分かってはいたが、ただの偶然だと思いたくて仕方がなかった。
「それにさ、休んでる理由もよく分かってなくてさ、先生が誤魔化してる感じがするって…」
「…そっか。…やっぱりそっか…。」
やはり偶然などではないのだ。黒いインクが水に溶けていくように、深い絶望感が胸に広がった。
「…でも、酷いよ。なんで猫井くんがそんな目に遭わなくちゃいけないの」
あんなに優しい人なのに。どうして。
「…そうだよね…。」
日奈子は悲しそうな目で頷いた。
「ねえ、お見舞いに行ってみる?」
放課後の下校時。曇り空の下で、日奈子が言った。
「え?」
「病院の場所、わかるよ」
「なんで?どこ?」
「だってここらにある病院なんかあそこと…もう一つぐらいしかないもん。ちょっち、遠いけどね〜。猫井病院ってトコ」
「え!?猫井…?」
「うん。猫井んとこのおじいちゃんがやってるらしいよ」
「へええ…」
やっぱり頭いい人の孫も頭いいのか…。いや、猫井くんの学力は知らないけど。生徒会って、大体頭いいんでしょ。たぶん。
「よおし!そうと決まれば、行くよ!!大切なダーリンのために!!」
「ダー…なんだって!?」
あのとき以降、ずっと日奈子は私と猫井くんをくっつけようと躍起になっている。しかし、勝手にお見舞いに行っていいのかな…。
「ねえ、でも遠いでしょ?」
「うん。でもそこら辺はモーマンタイ!なんと!うちのママが車を出してくれます!!」
「ええっそれは…ちょっと申し訳ないよ」
「うーん、でもさ、猫井くんハニーに見舞い来てもらえないなんてカワイソーだよ」
「は、はにい…」
絶対に猫井くんは私のことをそんな呼び方しないだろう。
「ママのことは気にしないで!私はともかく、ひまりのためなら喜んで車ぐらい出してくれるって!」
「そうなの…?」
「うん!ママも、猫井くんとひまりがいつくっつくのか楽しみにしてんだから!」
うわあ…人の母親に勝手に自分の恋愛模様知られてる私カワイソー…。
「わかった。行く!!」
しょうがない。もうこうなりゃやけだよ…!
家に帰って、荷物を置いてからすぐに日奈子の家に向かった。幸い、母からは何も言われなかった。
「ごめん、待った?」
私は肩で息をしながら言った。
「や、ぜーんぜん。ってか、なんで走ってきたの?そんなに急がなくていいのに〜」
それはわかっているが、日奈子の家に向かっている途中に謎の焦燥感に追われて、走らざるを得なかったのだ。きっと、急がないと猫井くんがどこかに行ってしまうと思ったんだろう。
「猫井くんは逃げないよ」
そんな私の気持ちを汲み取ったかのように日奈子が笑った。
日奈子のママは、本当に驚くほどあっさりと車を出してくれた。今日たまたま、街の方へ買い物に出かける予定だったそうだ。そのついでに、私たちを病院に送り届けてくれるらしい。
「ひまりちゃん、よくきたねぇ。さ、もう出発するからね、乗っちゃって〜。」
日奈子のママはのんびりとした口調で、初めて会うけれど、とても安心できる人だった。
中古のものらしい白い車の車内は、とても掃除が行き届いていて、居心地が良かった。
「綺麗好きなんだなぁ…」
思わずつぶやくと、日奈子は
「潔癖なくらいだよ〜。週に一回は掃除手伝わされてさ、やんなっちゃう。」
と言って笑った。
日奈子ママは、赤く光る信号を眺めながら
「ひな、喉弱いくせに埃だらけの部屋で生活してたらダメでしょ?」
と言った。綺麗好きなのは日奈子のためなんだな…。日奈子ママの愛を感じて、なんだか感動してしまった。
「ね、お見舞い品なんか買おうよ。流石に手ぶらはまずいでしょ」
街に出た頃、日奈子が言った。
「一応、私、前に旅行行ったときの和菓子持ってきたけど…」
おずおずと私が言うと、
「え〜?ダーリンのお見舞いに和菓子?」
と茶化された。
「ダーリンじゃない!」
「未来のダーリンだよ。私はあんたらがくっつくまで言い続けるからね!…で、和菓子もいいんだけどさ、お花も送らない?」
「ああ〜。いいかも。」
ちょっと恥ずかしいけどね、と私が笑うと、
「よし!バラ百本ぐらい買お!ね、ママ!!」
「えっ…ちょっとそれは…」
私が言い淀んでいると、
「いいわね。そのまま勢いで告白しちゃったらどう?」
日奈子ママまで…!!
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ひたすらに白い壁に、「猫井病院」の堅い文字。病院って、来るだけで少し緊張してしまう。
お見舞いに来たことを受付の看護師さんに伝えて、部屋に案内してもらう。
しばらく歩くと、『こちらです』と言って、114、と書かれた扉の前で案内の看護師さんが立ち止まった。
白くシンプルなデザインの扉を開けると、そこには確かに猫井くんがいた。
ベッドから体を起こして、正面にあるテレビを見ている。猫井くんもテレビ見るんだなあ…。
「あ、あの…猫井くん…」
「ねっこい〜!!」
2人で声をかけると、猫井くんはつまらなそうにこちらを一瞥したあと、またテレビに視線を戻した。
ちょっと。思ってた反応と違うんですけど…!
半ば苛つきながら猫井くんの横顔を見ると、眉根に皺を寄せて、顔を顰めていた。
「…もしかして、タイミング間違えた…?」
振り返って日奈子を見ると、日奈子もそれを感じているのか、気まずそうに指で髪をいじっていた。
目のやり場に困って、なんとなくテレビに視線を移すと、昨日の通り魔事件についてのニュースがやっていた。猫井くんは、画面を睨みつけて肩をこわばらせている。猫井くんの手を見ると、白く筋が浮き出るくらいに強く拳を握りしめていた。
憎しみ。そんな感情が一番に感じられる姿だった。
続く