5.あなたを把握したい
私がプリンを食べている間、蒼太からもこの世界のことを色々教えてもらった。お菓子屋を取り囲むようにある森の木は、全て同じ種類ではあるけど、水を必要としない全く未知の植物だということや、見上げると、青い空に白い雲が見えるが、雨は降らないということ。あの少年と女の子はお菓子屋の近所に住んでいるらしい、ということ。また、この世界でいう政府のような組織〈安民会〉というものがあり、市役所みたいな建物もあって、そこへ行けば家がもらえるということ。蒼太もそこで貰った家に住んでいるらしい。一番驚いたのは、お金という概念が存在しないということだった。
「だったら何で蒼太はお菓子屋で働いてるの?あ、安民会?の人も…見返り無しで働いてるの?」
蒼太は私の向かいの席に腰掛けている。顎のあたりに握った右手を持ってくる癖は変わっておらず、安心した。私の記憶の中にいた蒼太と同じだ。
「え、う〜ん…。俺は、何もしないのも暇だし、趣味のお菓子作りを続けたいと思ったからやってるだけですが…、安民会の方は…何故なんでしょうね…?今度聞いてきましょうか?」
「へ…?そんな簡単に聞けるの?政府の人でしょ?」
「ええ。時雨さんという安民会の方ですけど、たまにうちの店に来てくれるんです。」
「しぐれさん…。女の人?」
お菓子屋、つまりスウィーツ店だからこそ、もちろん女性客も多いだろう。万が一蒼太に詰め寄る女がいたら危険だから、ちゃんと調べておかないと。
「いや?男性の方だと思いますけど…。」
調べておかないとと思ったが、この蒼太の一言で少し安心した。しかし世間にはL…B…?なんとかみたいなものもあるようだから、完全に気を抜くわけにもいかない。蒼太は割と童顔だし、可愛らしいところもあるから、万が一、億が一もあり得る。
「どうしたんですか?急に険しい顔しだして…。」
蒼太が心配そうにこちらを見ているのに気づいた。
「あ、なんでもないよっ!…ところで時雨さんってどういう人なの?」
「う〜ん…、見た目でいうと赤紫の丸メガネをかけて…いつでもスーツを着てますし、なんかすごく真面目そう、という印象ですかねぇ…。でも、とても優しい人ですよ。俺を助けてくれたこともあります。」
「そうなの?」
「そう…俺がこの世界に来てすぐの頃、まだ右も左も分からずに森の中を彷徨ってたところを、時雨さんに見つけてもらったんです。この世界のこと、少しだけ教えていただきましたし、家もくれました。」
「めちゃめちゃ良い人じゃん!!」
蒼太に不純な感情を抱いている人なのかもしれない、なんて疑っていた自分が恥ずかしかった。
「そうですね〜、とても良い人です…。…あ、そうだ。そういえば今思い出しましたけど、佐…め、愛依も家が必要でしょう?後で役所に行くと良いですよ。タダで貰えますからっ!」
「…うん…でも、道わかんないから…一緒に来てくれたり…しない?」
仕事で忙しいかもしれないから、少し遠慮がちに聞いてみた。できれば蒼太と行きたい。1人が不安なのもあるが、道中で手を繋げたりしたら…!なんて。記憶がトんでても恋人は恋人なんだから、少しくらいそれっぽいことしたいじゃない。
「あ、全然構いませんよ。仕事があるんで、もうちょっとの間待ってもらうことになりますけど。それで良いなら全然。」
意外とあっさりOKが貰えて、拍子抜けしたけれども、確かに生前から蒼太は、何を頼んでも、何を言っても、どこかあっけらかんとした対応をする人だったな、ということを思い出した。
蒼太の言った通り店の裏で待っていると、エプロンから着替えた、私服姿の蒼太の姿が見えた。紺色のシャツの上に白い上着といった出立ちだ。清潔感があって、かっこよくて、少しの間目を奪われてしまった。
「お待たせしてすみません。さっ、行きましょう!」
そう言って蒼太は森の中に向かって歩いていった。ついて来いという意味らしい。
「うん…。」
隣を歩きたかったけれど、いかんせん道がわからないので、仕方なく蒼太の少し後ろを歩くことにした。
「どれぐらい歩くの?」
私は蒼太よりもずっと体力が無いから、距離がどれだけあるかが心配だった。
「まぁまぁ近いですよ。」
蒼太は少しこちらを振り返って言った。こんな少しの瞬間も笑顔だなんて、さすがだ。しかし…、
「あのさ…、」
「どうされました?」
「敬語で話すの…、やめれない?なんか距離を感じるというか…、寂しいな…。」
生前の蒼太は私に対していつも常語を使っていたから、今の蒼太の話し方は違和感を感じる。
「…あー…。確かに…。…うん、わかった。じゃあこれからは友達と同じように話すよ。」
「友達じゃない、恋人…!」
「あ、そっか。俺と愛依って、恋人だったんだっけか…。」
「“だった”…?今もそうだよ!忘れてるのかもしれないけど…。」
「…うん…。はぁ…ほんと、何もかも忘れてしまっていて申し訳ないな…。…ごめんよ。」
この辺りは舗装された道があり、一本道だ。道沿いに赤い木が生えている。
いつの間にか蒼太は私の隣にいた。至極申し訳なさそうに手で顔を覆っている。
「…謝んなくていいから!蒼太はなんにも悪くないし…。ただ、理不尽に他人に命を奪われて、記憶もとんじゃって、わけわかんないままこの世界に来たんでしょ?だからなんにも…。」
「…ん?『理不尽に他人に命を奪われて』…?え…っ?俺…、殺、されたの…?…ちょっ…え、待って、ころ…?」
蒼太がわかりやすく狼狽え出したのを見て、しまった、と思った。蒼太はまだ自分が死んだ理由を知らなかったのだ。
「ごめん、ごめ…落ち着いてよっ、大丈夫だから!ごめんってば〜!!」
早く沈静化しないと。
「うん…。う…ん…。」
ひとまず落ち着いたようだが、視線が呆然と宙に浮いている。その時、
「大丈夫ですかー?」
背後から声がして振り返ると、赤紫のメガネをかけて、黒いスーツを見にまとった男がいた。この特徴、蒼太がさっき話していた、
「…し、時雨さん…!?」
「あー、はい…よくわたくしの名前をご存知で…。ぃや、まーそれは置いといて、お二人とも何か混乱していたようでしたが…。」
「…いやあ、別にどうってことないです!そういえば今から役所行くところだったんですけど、道ってこっちで合ってましたよね?」
蒼太は、さっきとは打って変わって、冷静に、流暢に話し出した。今は自身が死んだ理由については考えないことにしたようだ。この切り替えの速さにはいつも驚かされる。
「…合ってますよー。実はわたくしも出勤するとこだったんで、一緒に行きますか。」
「そうだったんですね!…あれ?でも時雨さんって、役所じゃなくて安民会の方だった気が…。」
「あー、最近変わったんですよー。まー色々ありまして追い出されましたー。」
「お、追い出されたんですか…?」
「冗談ですよー。ちょっと前とは違う仕事を頼まれて、異動になっただけです。まー、お菓子屋さんが近くなったのでラッキーでした。」
お菓子が好きなのだろうか。いかにも堅物そうな見た目だが、意外と可愛らしいところもあるんだな…。
「あれー、ちなみに隣の方はどちら様でしょうか?」
時雨さんの目が私の姿を捉えた。
「あ、私は………。」
「俺の彼女です。」
なんと言おうか口篭ってしまった私を見かねてか、蒼太が後の言葉を引き取ってくれた。
「あー!そうだったんですねー!お二人で役所に…!…婚姻届でも貰いに行くんですかー?」
「あっ…いや、ちがっ…私の家を貰いに…。」
婚姻届がこの世界にもあることを先に知っていたら、貰いに行っていたことは間違いないけど。
「ああ…、では彼女さんはこの世界に来てほどないんですねー?」
「あ…はい、そうです…。」
時雨さんは優しい喋り方をするけど、どこか淡々としていて、貫禄のある見た目も相まって圧を感じる。だから時雨さんに対しては無意識に敬語を使ってしまう。
「というか、ご一緒に住まわれないんですねー。ご結婚は考慮されていないのですかー?」
「え」
結婚。蒼太と結婚…?結婚…。それができたらどれほど幸せだろう、と一瞬結婚への憧れに脳内が包まれたが、今決めるべきは、蒼太と同棲する、つまり今蒼太が住んでいる家に私も住むか、一旦私1人分の家を貰って後からどちらかの家に一緒に住むか、だ。結婚というワードに敏感で、ついつい幸せモードに入ってしまっていた。危なかった。
私としては、今すぐに蒼太と同棲したいと思っている。何故なら、蒼太の行動パターンを今一度把握しておきたいからだ。蒼太は過去の記憶をほぼ失っているので、人格形成に影響が出ているはずだからだ。過去の失敗や経験から、ヒトの性格やモノの考え方は変わっていく。であるからして、今の蒼太は、記憶が失われている分、以前の蒼太と少し違う点があるはずだ。そこのわずかな違いが、行動パターンにも影響を与えているとしたら…。私は『以前の蒼太』の行動パターンしか知らない。今の蒼太は何を思い、感じて、行動に移すのか、猛烈に知りたい。蒼太を把握したい!
「…ねぇ、蒼太。やっぱり私…、同棲したいな。だめかな?」
いつものように上目遣い。別にかわいこぶってるわけじゃない。蒼太の身長が高いから自然とそうなるだけだ。
「…うーん…、そうか、うん。別にいいよ。愛依がそうしたいならそうしようか。」
蒼太はまたあっさりとOKを出した。
「…もう役所に用事は無いみたいですねー。それではわたくしはこの辺りで失礼しますー。」
時雨さんはそれだけ言って、一本道の奥の方に進んで行った。さようならを言ってから、私たちは引き返して、蒼太の家に行くことになった。すぐに家に案内してくれるということは、きっと家が散らかっていないということだから、蒼太の綺麗好きな性格は変わっていないんだろうな、と思った。
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「ここが俺の家だから。どうぞ入って。」
そう言って蒼太は鍵を開けてくれた。玄関はシンプルで、靴以外何も置いていない。癖のように毎回確認してしまうのだが、女の靴もないようで、安心した。
「お部屋、綺麗だねっ、相変わらず!」
「相変わらず…?俺って前もこんな感じだった?」
「うん。すっごく綺麗好きでね〜…」
話している途中で、蒼太の顔が何かを思い出したかのように突然引き攣るのが見えた。
「…どうしたの?」
「…いや、そういえば、俺って誰に殺されたんだろうと思って…。」
と、ソファに腰掛けながら言った。どうやら思い出してしまったのは、自身が他殺で死んでしまったことらしい。
「……蒼太とも全く面識のない、頭のおかしい40代ぐらいの男性が酔って暴れて、蒼太のいる店に押し入ったらしくて。男は刃物を持ってて、だから、そのまま…。」
隠しても意味は無いだろうから話した。何回思い返しても胸糞が悪すぎる。
「…知らないおじさんに刺されて死んだと。俺は。…はぁ…。そうか…。」
「…最悪、だよね…。ほんと、蒼太はなんにも、なーんにもしてないんだよ。」
「…うん…。まぁ、かなり嫌な死に方をしたみたいだなぁ…。今更どうしようもないけど。逆に覚えてなくてラッキーだったよ。絶対痛いし怖いでしょ、刃物で刺されるなんてさ…。そういえばどこ刺されたの?」
「背中を何度か切り付けられて、最後はお腹をひとつき…、…多分だけど、致命傷になったのはお腹の方だと思う…。…絶対痛いよこんなの…。お腹じゃすぐ死ねないから、たくさん苦しんで死んでいったんだと思う…。私、あなたがこんな死に方するなんて耐えられなかった…!本当に…大好きで…優しくて…親より全力で……私のこと、愛して…くれて…っ…!」
不意に涙が溢れた。理不尽に奪われたあなたの未来を思うと…。いや違う。あったであろう私の、蒼太との幸せな未来を思うと、だ。本当は、自分が幸せになりたかっただけなのかもしれない。いつまでも愛されていたかったのに、奪われたから悲しかったんだ。つまるところ、私はただの拗らせたメンヘラなのだ。神様みたいに優しくて、綺麗な心を持った蒼太には相応しくないのかもしれない。私はこんな自分が嫌いでしょうがない。そう思うとまた、涙が出て、止まらなかった。
「…愛依、俺本当に愛依が好きだったんだなあって思うよ。実は…、さっきまであんまり愛依のこと信頼してなかったんだ。初対面でキスしてくる人だしなぁって…。家に入れるのもちょっとなあ…って思ってたんだけどさ。今の言葉聞いて、なんか懐かしさっていうか…愛依に対しての愛おしさを、思い出したんだ。だから…、あ〜、うまく言えないんだけど…」
蒼太は私の髪を優しく撫でた。以前と全く変わらない温度や優しさが嬉しくて、さらに涙が溢れた。
「めちゃくちゃ、好きです。改めて、俺とお付き合いしてくれませんか。」
まっすぐ私に向けられた瞳。なんの濁りもなく、あの頃と同じように輝いていて、私の姿しか見えていない。なんて綺麗なんだろう。このまま永遠に見つめ合っていたいと思った。
「…うん…!これからもよろしくね…!」
『相応しくない』なんて、私の主観。蒼太は私を好きだと言って、付き合ってほしいと言ってくれた。こんな私と一緒にいることを選択してくれた。それが嬉しくてたまらない。少しぐらい舞い上がったって許される気がした。
「あ、泣き止んだ!よかった〜。」
蒼太がそう言ったのを聞いて、私はやっと涙が止まっていることを自覚した。
「え…?さっきの台詞、泣き止ませるために言ったの…?泣いてるの、うっとおしかったかな…。ごめん…。」
「違うよ。そんなわけないだろ。俺、本当に愛依のこと好きだよ。泣いてるのも…俺のために泣いてるんだから、別に、嬉しいくらいだったけどね。やっぱり笑顔が見たかったから、泣き止んでよかったって思っただけだよ。」
すぐにネガティブな方に考えてしまう私に、『違う』とはっきり言ってくれるのも変わっていなくて、嬉しかった。蒼太の意見はいつもはっきりしていて、信頼できる。
「そっか…!」
私はご所望の通り、にこりと笑顔を返した。
「…ふふ、やっぱり笑顔似合うね。かわいい。」
「…えぇ〜?そお?えへへ…。」
どんなことでも恥ずかしがらずにはっきり伝えてくれる蒼太が好きだ。
これからはきっと、いつまでも一緒にいられるのだろう。今日も明日もその翌る日も蒼太と一緒。
生まれ変わっても一緒だよ。
蒼太、愛してる。
続く