4.生きがい
「へっ…?死後っ?今、死後って言いました…?」
蒼太が信じられない様子で目を瞬かせた。
「ああ、言ったさ。ここは死後の世界。残酷なことを言うが、ここにいるやちゃ、全員死んでんだ。あたしも含めてね。」
「ええっ…あははっ、まさかっ…。それが本当ならおかしい点がありますよ。俺、死んだ記憶なんかないんですから…!なんで死んだか覚えてませんし…ああでも、どう生きたかさえもあまり覚えてませんが…。」
“自分が死んでない理由”を必死に探す蒼太を無言で見つめている、マイノさんのその瞳の奥には悲しみが揺らめいているように思えた。
それにしても、蒼太には死んだ記憶がないのか。私は、
「…私、死んだ記憶あるよ。マンションのベランダから落ちたの。」
「…えっ…。」
蒼太の、さっきまで宙に彷徨っていた目が私を捉えた。
「…なんでそんなことに…?」
「だって、あなたが“こっち”にいるってこと、わかってたから。だから自分で落ちたの。」
「????」
「…あんた、あんた自身の人生において、蒼太はよっぽど大切なもんだったんだね?」
混乱している蒼太をよそに、マイノさんは冷静な口調で私に問った。
「…そうよ。だから自殺までして追いかけてきたの…!」
「もしかして、あんたが覚えてるものの全てに、蒼太が関連してないかい?一番過去から遡って思い出してみなよ。」
「え…?ええと…幼少期の記憶は無くて、小学校も覚えてない…あっ、中学3年生からの記憶はある…!確か…蒼太に初めて恋をした時期…!!そこからの記憶は…確かに、蒼太に関連する記憶ならある…!!!」
私が死んだ記憶を持っていたのも、蒼太のために死んだからだったんだ。
「…やっぱりねぇ…。全ての記憶の根底に必ず蒼太が…。」
「…あああ…。」
私が『自殺』という言葉を口にしてから蒼太の様子がおかしい…。けれどもマイノさんはあまり気に留めていないようだ。
「まぁ、このコのように、こっちの世界では“そいつの人生において一番大切だったもの”…ま、つまり生きがいさね。…が関連する記憶しか受け継ぐことができないってことさ。」
マイノさんは淡々と話すけれど、その垂れ目気味の目には変わらず悲しみが宿っている。「悲しいよ、ほんと…。あんな若いのにねぇ…。」という発言の意味がわかった気がした。才能のある蒼太が若くして死んだことを悔やんでいたのだろうか。
「あんたの生きがいは…多分お菓子作りだろ。記憶なしであの腕前はあり得ないからね。」
と、マイノさんが蒼太を指さして言った。
「え、あ…そうですか…そうですよね…。でも、なんか申し訳ないです…。」
「…なんでだい?」
「佐藤さんは…俺のことを人生で一番大切に思ってくれてたのに、俺はお菓子作りって…。想いが一方通行じゃないですかぁ…。」
蒼太が哀しそうに俯いた。
「ふぅん…。そうかい。でもまぁそんなこと言ったって、あんたは女より仕事をとったんだよ。その事実は変わらない。」
「ちょっと…、もっとひどい言い方にしないでくださいよっ…!…あ、いや、でも、本当に申し訳ないと思ってます…。…だって自殺なんて…自殺…。」
「…ふふっ…。」
その様子を見ていて、つい、笑みが溢れてしまった。
「いいよっ、許すから!そういう真面目なとことか、優しいとこが好き…!」
頬にまた生ぬるい液体が伝っている気がしたが、もう色々と吹っ切れていてあまり気にしている隙がなかった。もういいんだ。蒼太は私のことを忘れてしまった、それは変わらない。だけど、蒼太が蒼太の好きなことをできている、今はそれだけでいいじゃない。それに、またこれから好きになって貰えばいいんだもの。
「あと、『佐藤さん』はやめてよ。愛依、にして!」
私の声は、いつのまにかすこし涙声になっていた。
「…あ…、わかりました、…愛依さん。」
「さん、はいらない。」
「……愛依。」
「よし。」
「…。」
蒼太は照れているのかなんなのか、曖昧な笑みを浮かべていた。
「……ふん…、若いっていいねぇ…。」
マイノさんがそう呟くのが聞こえた。
「…あ、俺、はやくお菓子を子供達に持ってかないと…プリンも…。」
そう言って蒼太はおもむろに厨房へと戻っていった。
そのしばらく後に食べたプリンは、なぜか懐かしい味がして、美味しかった。生前、蒼太からいくつか手作りのお菓子を貰ったことがあったけど、プリンは貰ったことがないはずだ。過去に貰った蒼太の全てのお菓子には、共通して優しさみたいなものを感じるからだろうか。このプリンも例外なく、優しい甘さがする。
ああ、さっきまで泣いてたのが嘘みたいに涙が引っ込んじゃった。お菓子を食べるだけで泣き止むなんて、随分と単純な女だったのね、私。
でも、こんなに単純だからこそ、わかりやすく優しい蒼太に心惹かれたのかもしれない。この単純さが蒼太と自分を繋ぎ止めたのだと考えれば、悪くないのかもしれないけど。
やっぱり死んでも私は蒼太が好き。死ぬほど好き。今は食べかけのプリンさえも愛おしかった。
蒼太がいるなら、こっちでもやってける。漠然とそう思った。
続く