号笑 第四章 「夏野陽毬のなかま」
猫井くんに会ってから2日後、
いじめは無くなった。
私は苦しみから解放されて、晴れて明るい学校生活を送れている。
しかし、未だに気になっていることがあった。
いじめが終わった原因についてだ。
一応原因としては、私をいじめていた一軍女子の中心人物である、「橋下美幸」が転校することになり、それをきっかけにいじめは緩やかに収束していったのだった。
結局美幸の取り巻きは、美幸に合わせて私に悪口を言っているだけだった。
だけど、妙じゃないだろうか…?
いきなり転校だなんて…。それも、猫井くんに相談した直後にだ。
…考えすぎかな。
「…あ。」
教室の窓から美しい青空を眺めていると、ふと、思い出したことがあった。
(そういえば、猫井くん、『また話そう』って言ってたのに…、まだ話してないじゃん…。)
約束を忘れてしまったのだろうか?…いや、彼にとっては約束なんて大したものではなかったのかもしれない。話す機会があれば、と言う意味だったのかも…。
そうやってなんとか自分を納得させ、雲の形を見ることに集中しようとする。これ以上考えたら、まるで猫井くんに恋してるみたいになっちゃうから。
すると、
「ひーまり〜!」
後ろから、日奈子の声がする。日奈子は、いじめが終わってから初めてできた友達だ。
いじめが終わると、今まで見て見ぬ振りしていたクラスメイトも、徐々に話しかけてくれるようになっていた。
「お弁当一緒に食べよ〜」
「うん」
「うわ、ひまり、それ手作り?」
「そう」
「うわ〜!いいなぁ〜すごいなぁ〜っ!!今度作り方教えてよお〜」
「えへへ…いいよ。もちろん。」
どもる癖も治って、普通に会話できるようになった。人と話すって、楽しい。
そんなことを考えていると、
「…夏野」
突然後ろから男子の呼ぶ声が聞こえてきた。
「…?」
振り向くと、猫井くんがいた。
「猫井くん!?」
「…こんちはー。ちょっとまた放課後に話聞かせてくれないかな。」
猫井くんは相変わらずの無表情でさらりと言い放った。
「え…っ?う…、ん。うん。わ、わかった。」
突然のことで動揺し、かつてのどもり癖がまた出てきてしまった。
「じゃ、前と同じ場所で。」
そう言って、すぐにつかつかとどこかへ歩き去っていった。
…いじめは終わったのに、今更何の話があるっていうんだろう。そんなことを考えていると、
「ひまり…!あんた…モテるの!?」
「へ?」
いきなり何を言い出すんだこの人。日奈子は何も答えられずにいる私をよそに、さらにこう捲し立てた。
「だってだってだって!!男が女を放課後に呼び出してする話なんてもー告白しかないじゃん!!!うっわ〜っしかもあの猫井!?クソ真面目な印象しかなかったけど意外とやるじゃん!!見直しちゃったよもう!!」
その後も、日奈子は目を輝かせ、興奮した様子で楽しそうに勝手に妄想したあれやこれやを話していた。
挙句には、
「頑張ってね!まあ、ひまりはYESかNOか伝えるだけだからそんなに頑張る事ないと思うけど!」
と、完全に私が告白される前提の応援をしてきた。
「あのね…まず告白かどーかもわかんないのに…。」
呆れて私がそう呟くと、
「いや!絶ッ対に告白だね!!告白に一千万ベット!!」
「そんな大金持ってないでしょ〜…」
「うん!持ってないよ!」
そんな話をしながら、昼食を終え、授業も終え、ついに放課後がやってきた。
告白ではないと思うけど、一体どんな話があるのか、想像もつかない。先生に呼び出された時の怒られるのかもしれない…という謎の不安を思い出した。いや、今回は猫井くん相手だから、怒られることはないと思うんだけど。たぶん。
理由のない緊張感を覚えながら、誰もいなくなった2年3組の教室のドアを開ける。
ぐるりと教室を見渡すと、中央の方に猫井くんが人形のようにちょこんと椅子に座っているのが見えた。無表情だから、さらに人形感が増している。目も、入ってきた私を見るわけでもなく、虚空を見つめるばかりだった。
「…あ…、おーい…猫井…くん…。来た、よ…?」
緊張して、どもりがひどい。
私の声に気づいたのか、猫井くんはこちらに顔を向け、
「あ、こんちは。」
とだけ言った。
「えと…待った?」
「全く。」
「そ、それなら…よかっ…た。」
どこに座ればいいのだろうと思ったけど、もう椅子は猫井くんの向かいに机を挟んで用意してあった。まるで懇談みたいだな…。
私が猫井くんの正面に座るや否や、猫井くんは黒曜石のような黒い目をこちらに向け、
「…いじめ、無くなったんだってね」
と言った。
「うん。」
「それは大変よかった。」
猫井くんはにこりともせずに言った。やはり不気味だ。もう少し嬉しそうな顔をしてほしい。
「…で、本題なんだけど」
「え…あ、うん。」
「なんでいじめられてたの?」
「…え?」
「原因は何?」
「なんで、そんなこと…」
「教えたくないなら無理には聞かないけど。」
「…。」
予想外の理由に黙りこくってしまった。これなら告白の方がイエスかノーか言うだけだから楽だったなあ…なんて考えていると、
「泣きたい時に涙じゃなくて笑いが出るから?」
猫井くんが言ったその一言に、一瞬脳が凍結されたかのようだった。みるみる顔が青ざめていくのが自分でもわかる。
「…なん、で?なんで…知ってるの…?」
「ああ、やっぱり俺の読み通りだ。」
納得したように指を顎に当てた。また、読まれている。この人はどれだけ勘がいいのだろう。
「でも、いじめるほどのものじゃないよな。まず泣くほど…笑うほど辛くなることなんてそうそうないし。というか、うるさがる癖にいじめて泣か…笑わすなんて本末転倒だよな」
淡々とした話し方に同調して脳が冷静さを取り戻してきた。
「…確かに、原因は私のその性質のせいなんだけど…、ちょっと、色々あってさ」
私が話す気になったのを感じて、猫井くんは聞く姿勢を取った。猫井くんの黒曜石の深い黒を見つめながら、私は、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「…私ね、小学生の頃は美幸と仲が良かったの。ほら、あの一軍女子の真ん中の奴。でもね、小学…6年生の夏に、美幸のお父さんが死んじゃってさ。暗い顔で登校してきた美幸に、どうしたのって聞いたら、お父さんが死んじゃったんだ、って教えてくれて。いつもニコニコしてるかわいい美幸がぽろぽろ涙こぼして泣いてるから、なんか可哀想で、もらい泣き…笑いしちゃって。美幸、私のこの性質のこと知らなかったから…すごく怒って。それで…いじめに発展しちゃったの。そのまま…中学までだらだら続いちゃって…。」
話し終えて、改めて猫井くんの顔を見ると、やっぱりと言うか、無表情だった。頑張って話したのに、これじゃあんまり話しがいがない。
「…そっか。ふーん…」
…自分が聞いた癖になんだその反応…。
呆れながら様子を見ていると、猫井くんは思案するそぶりをみせた後、再度口を開いた。
「人と違うって、苦労するよな。今まで大変だったよな。夏野はただの友達思いのいい人なのに。もったいない。」
…!!!???…いきなり慰められて褒められて、コンマ1秒遅れて驚いた。
「えっ…いや、その…あの…そう、かな…?ありがとう…。」
普段そういった言葉を異性からかけられることがないので、はちゃめちゃにキョドってしまった。
「うん。夏野はいい人だよ。」
繰り返し猫井くんが言った。
その顔を見て、さらに驚かされた。
いつも真一文字に引き結ばれていた唇の両端がくいっと持ち上がっている。…つまりは、
猫井くんが、笑っている。
「…きれい」
思わず声に出してしまった。無表情のときは気づかなかったが、案外整った綺麗な顔をしている。
「…猫井くん。」
「何?」
「モテるでしょ。」
「…え?」
もう、私の話なんてどうでもいい。今は猫井くんのことが猛烈に気になってしょうがなかった。
「だってイケメンだもん。」
「はい?」
困惑が黒曜石の奥にちら、と揺れたように見えたが、すぐに消えた。
「…いや、お恥ずかしながら、モテてることはない。」
「…そっか。」
なんかごめん、と言うと、猫井くんは真顔に戻って、いいよ。と言った。その顔で言われると本当に許してくれたのかどうか見当がつかない。
「というか、こんな常時仮面かぶってるのと同等の無表情野郎がモテると思う?」
猫井くんは自らを無表情野郎、と揶揄した。それが何だか面白くて、
「あはっ、思わない!」
笑いながらクソ失礼なことを言ってしまった。
ふと冷静になって、また、ごめんなさい、と謝った。
「別に、いいよ。気にしてないから。」
「本当に…?」
「うん。」
美しい黒曜石を見つめながら、一呼吸おいて、
「ねえ、あのさ、私、正直今日呼び出されたとき告白されるんじゃないかなって思ってたの。」
と正直に白状した。なんだかこれを言わないままでは帰れないと感じたからだ。
「え…?ふうん…。」
猫井くんは一瞬驚きに顔を歪めたが、すぐに無表情に戻った。
「猫井くん、私のことぶっちゃけどう思う?」
なんだかとんでもないことを聞いてしまったような気がしたけれど、後で日奈子との話のネタにするために聞いただけだ、と勝手に心の中で言い訳をした。
猫井くんは、やはり無表情で、
「…うーん…嫌いではないよ。夏野と俺って、ちょっと似てるとこあるし。」
と言った。
猫井くんの返答はそれだけだった。
* * * * * * * * * * * * * *
朝、日奈子と一緒の通学路で、昨日の話をした。
「う〜む…嫌いではない、か…。ちと曖昧じゃのう…」
と日奈子が変な話し方で悩んでいる。
「まあ、話すの二回目だし、普通にそんなに好きじゃなかったってこともありえるでしょ。それより私は、その後に言った方のが気になるな」
「ああ、ひまりと猫井に似てるとこがあるってやつ?」
「うん。」
「…え〜…あるかな?強いて言うなら真面目なとこ、かな…」
と、日奈子が空を仰ぎながら言った。
「それしか私も思いつかない。」
「おい!真面目なこと自覚してんのかい!なんでやねん!」
下手くそなエセ関西弁で突っ込まれた。
昨日までは猫井くんと私の共通点について本気で考えていたが、翌朝になると流石にどうでも良くなってくる。
もういいか、別に。猫井くんのことが本気で気になっているわけじゃないし。多分ああいうのはそもそも恋愛に興味がないタイプだろう。これ以上考えても無駄な気がする。
「てか、ひまり、猫井くんのこと好きなの?」
「は?いやいやいや、違うよ?あんな無表情野郎、ありえないから!」
昨日猫井くん自身が言っていた言葉を使ってみる。言ってしまってから、流石に失礼すぎたな、と心の中で反省した。
「無表情野郎って!!うける〜!ひまり、今日はキレッキレだねぇ〜…」
「あ、あは…」
なんか日奈子にはウケたけど、もう二度と言わないようにしよう。猫井くんは、いじめられている私をはじめて心配してくれた人なんだから。大事にしないと。
続く