妖少女
真っ暗な森の中。
気がつくと、もう松明の明かりは見えなくなっていて。奴らの声すら聞こえなくなっていた。
頼りになるのは満月の光のみ。
奴らがいなくなった、という安心からか、一気に体の力が抜ける。
どうして、こんなことになってしまったの…?
少女は涙を流し、月を眺めながら、昔のことを思い出す。
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「ほら、もう朝ですよ。 起きなさい、撫子。 もう朝食はできてるわよ?」
耳元で聞こえる、温かい声。 大好きな、「お母さん」の声。
「悪いな、撫子。 今日は仕事が朝早くからあるんだ。 お母さんの言うこと、よく聞くんだぞ。」
遠くでも、はっきり聞こえるたくましい声。 大好きな、「お父さん」の声。
「ぅぅん… お母さん、おはよー。 お父さん、いってらっしゃーい。」
まだ眠いけれど、約束だから起きる。
朝ごはんのいいにおいがする。
今日も、いつも通りの朝だった。
これからも、いつも通りの朝が続いていた。
お母さんは、いつも家にいてお掃除したり、ご飯作ったり、お花を育てたりしている。
忙しい時も、花札の相手をしてくれたり、高い所にある本をとったりしてくれる。
本当に、優しいお母さん。
お父さんは、ほとんど外に出かけてて、山で色んなものをとってきて、町の市場に売りに行っている。
時々、お花の飾りとか、可愛いお土産をもってきてくれる。
でも、怒るとすっごく怖いお父さん。
お父さんも、お母さんも。いつまでも一緒にいてくれた。
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季節は巡り、あれから数年経った秋。私もけっこう成長した。
高いところにある本の取り方も覚えたし、外出先での怪我はかなり減った。
「お母さん、私、遊びに行ってくる。」
「あら、どこまで遊びに行くのかしら?」
「あの森まで。 お父さんみたいに、なにか採ってくるの。」
「お父さんの真似ね… 楽しみにしてるわ。 いっぱいとってきてね。 それから怪我をしないようにね!」
「うん、わかってる。 じゃあ、行ってきます。」
家族はお父さんとお母さんしかいないけど、私は幸せだった。
本当に、毎日が楽しかった。
つまらないなんて、思わなかった。
何も…余計な事が無くって、良かった。
何年たっても、ずっと変わらなくて、良かった。
こんな、平凡な毎日で良かった。
毎日、起きて、ご飯を食べて、遊んで、寝て…の毎日を繰り返す。これが一番だった。
私が外出するとき、必ず持っていくものがある。
1つ目は、日記。
とても分厚くて、少し重いけれど、外出先の思い出をすぐに書けるようにって。
万年筆はお父さんがくれたもの。ずっと使っているけれど、墨(―町では「インク」と呼ぶらしい―)が無くなることはなかった。
お父さん曰く「まじないをかけている」とのこと。 私たちは普通のヒトなんだから、まじないなんて使えるわけがないのに…
2つ目は、花札。
なんで必要なのかと聞かれると、正直答えられない。
基本外出先では使わないもの。 それでも、持っていかないと落ちつかなかった。
お母さんの香りがするから…なのかな。
3つ目は、家族の写真。
色褪せた写真だけど、これは大切なお守りだった。
なくさないように、分厚い日記にはさんである。
この3つがあれば、他に何もいらない。
「う〜ん… 何か無いかな〜…」
下手糞な口笛を吹きながら、綺麗な落ち葉やや木の実を探す。
やはり、この場所には何も無いようだ。
「あ、やっぱりここだ。」
さっきの場所から少し離れたところ。
綺麗な落ち葉も、木の実もたくさんある「秘密の場所」
秘密の場所だから、ここじゃないところで採集をしたかったけれど、今日はあきらめる。
真っ赤なもみじや栗をかばんにつめこむ。
もうこれ以上入れると穴があいてしまうだろうと思うほど膨らんだかばんを抱え、写真を眺めながら家に帰る。
森はもう暗くなっていた。 お母さんとお父さんが心配しているかもしれない…
「急がなきゃ…」
少し早歩きで家を目指す。
家が近いという印である石畳の道が見えてきたとき、一瞬、変なにおいがした。
…どこかでたき火か何かしているのだろう、と思い、また歩き出した。
「お母さん! ただいま。 いっぱい採ってきたよ!」
家の扉を開けながら言う。
…誰もいない。
次に奥の部屋を覗こうとする。
何かがおかしい。 空気が異常だ。 この先に行ってはいけない…そんな気がした。
しかし、見ないわけにはいかない。 意を決して、奥の部屋の扉を開いた。
「…っ! …?」
その部屋には、誰かが倒れていた。倒れているのは1人ではなく、2人。
体中から血を流している。 目は死んだ魚のような―虚ろな目をしていた。
そして、錆びついた鉄のような匂いも漂っていた。
真っ赤でよく見えなかったが、目の色、体の色…全て見覚えがあった。
間違いない。この2人は…数時間前に、当たり前のように話していた―
―――お父さんとお母さんだった―――
「「きゃあああああああああああ!!!」」
今までに無いような悲鳴をあげた。
「いや、嫌… 嘘、でしょ…? お父さん!お母さぁん!! 起きて!ねぇ!」
ぼろぼろと、かばんから大量の葉と木の実が落ちた。
そこで、時は止まっていないのだと実感する。
「ぅぅ…… … …。」
「お母さん…?」
お母さんはまだ生きていたようだ。
今にも途切れそうな、小さな声で… お母さんは、私に言った。
「あの…机にある…手紙…持って…早く、逃げ て…。」
「え? わかんないよ… お母さんも行こうよ!」
「もう… 歩け…ぃ… から。 急がな…と ………が…」
段々お母さんの声も聞きとれなくなっていく。
最期に、はっきりと言った。
『あなたを…愛していたわ…。 撫…子。』
それっきり、お母さんは何も言わなくなり、動かなくなった。
手のぬくもりが…一瞬にして、消えた。
「…………」
私は机にある手紙を持ち、再び外に出た。
すると、どこからか大人達の叫び声が聞こえた。
「――いたぞ! 奴らの子供だ!」
大人たちは、松明や弓、網などを持っていた。
あの変なにおいの正体は…松明だったのか。
「子供ならなにもできないだろう。 捕らえたらすぐに報告しろ!多少傷つけても構わない!」
…ここで捕まったら、おしまいだ。
森の中に入り、ひたすら走った。
しかし松明の光はまだまだ追いかけてくる。
「!?」
その時、尾に激痛がはしった。
矢が刺さっている。 矢は複雑な形をしており、無理に引き抜いたら尾をもっていかれてもおかしくない。
しかし、この矢を抜かないと歩くことができない。
「ぅぁぁぁあああああああ!!!」
この矢など、お父さんとお母さんが受けた痛みに比べたらなんてことないだろう。
…と、自分に言い聞かせ、いっきに矢を抜いた。
痛い。とてつもなく痛い。血がどくどく溢れてくる。
すぐに傷口を着物で覆い、一心不乱に走り続ける。
捕まったら何をされるのだろう。
やはりひどい拷問を受けたあげくに殺されるのだろうか? それとも死ぬまで何かを無理矢理させられるのだろうか?
どちらにせよ、苦痛の日々が待っているのはわかっている。
お母さんのためにも、お父さんのためにも、まだ死ぬわけにはいかない。
「私は… 絶対に死なない!」
小さく―つぶやいた。
真っ暗な森の中。
気がつくと、もう松明の明かりは見えなくなっていて。奴らの声すら聞こえなくなっていた。
頼りになるのは満月の光のみ。
奴らがいなくなった、という安心からか、一気に体の力が抜ける。
どうして、こんなことになってしまったの…?
吐き気が止まらない。涙が溢れそうになる。
…もう、我慢できない。
「…げほっ ううぇ… ぇ…ぁ…」
耐えきれない悲しみを吐き出す。 耐えきれない怒りを吐き出す。
何もしてあげられなかったという後悔を吐き出す。
私たちは、ごく普通の家族だった。
お父さんは何もしなかった。お母さんも何もしなかった。
私も何もしてない。
なのに… どうして…
「あっ…」
ふと、お母さんが残した手紙を思い出す。
この手紙に…全てが書かれているはずだ。
私はもう一度辺りを確認し、誰もいないことを祈りながら手紙をひらいた。
=愛するわが子 撫子へ=
この手紙を読んでいる頃は、きっとお母さんもお父さんも、この世にはいないでしょう。
今まで黙っていてごめんね。
私たちは「普通の」家族だと思っていたでしょう?
でも、違うの。
私たちは「妖族」だったの。
昔から、嫌われていた種族。奴隷扱いされた時代もある種族。
だから、町はずれの小さな家に住んでいたの。
姿を自在に変えてたから、今まではばれなかったの。
あなたが「普通のお母さん」、「お父さん」だと思っていても、他から見れば普通じゃない。
あなたは知らなかったと思うけれど、お父さんは町では姿を変えていたのよ。
もちろん、「妖族」だとばれない様に。
でもね、町はずれの私たちの家を通りかかった魔導師に、私たちが「妖族」だったことを暴かれた。
そのことはすぐに町中に広がって、多くの人がこの家に入ってきた。
一斉に私たちを殺そうとしてきた。
ちなみにこの手紙は、奥の部屋に隠れているときに書いたものなの。
あなたが家にいなくて本当に良かった。
妖族の子供は雑用として売られてしまうと聞いてたから…。
無事に逃げ切れたなら、とにかく後ろ向きな考えはしないこと。
前向きに、ね。
絶対に、最期まであきらめちゃだめだよ。
=さよう
文字はここで途切れている。おそらく「さようなら」と書くつもりだったのだろう。
「… おかぁ、さん……」
最期まで私のことを考えてくれていたなんて。
なおさら、死ぬわけにはいかないよね…。
「… さっきの子供は見つかったか!!」
「!!」
…近くに奴らが来ている。どうしよう…
大きい音を立てたらなおさら目立つし、足元には血だまりが…
「君 助けてあげるよ。」
顔をあげると、そこには一人の男の子が立っていた。
体は真っ白で、背中には翼がある。
「た、助けて くれるんですか…?」
「うん、もちろんだよ。 ここから別のセカイに連れて行ってあげる。」
「…別のセカイ?…あぁ、天国ですか。」
何故か私はとても冷静だった。
「ううん、違うよ。 『イルシオン』っていうセカイだよ。」
洋国のような名前だ。 怪しい…。
「怪しくないよ。 君の町みたいなところもあるよ。」
…心を、読まれたのかな。
「…わかりました。 私をその世界に連れて行ってください。」
藁にもすがる思いで言った。
「君のことをあっちの人の記憶にも組み込んでおくから。そして、十分な知識と新しい体も与えるよ、安心してね。
大体、種族とかもこっちと同じだから〜 じゃあ、行こうか。」
白い少年は私に手を差し伸べる。
「…はい。」
私は少年の手を掴んだ。
辺りがまばゆい光に包まれたかと思うと、目の前に扉が現れた。
「この扉を通れば、イルシオンに行けるよ。 気をつけてね。 ばいばい〜」
白い少年は、どこかへと消えていった。
そして私は扉の中へと入っていった。
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「…っ!」
目を覚ますと、森の中にいた。
別世界のはずなのに、なぜか今いる場所の名前がわかる。
「倭」だ。
『お〜い!撫子さん!』
突然、誰かに声をかけられた。何故かそのヒトの名前もわかってしまう。
「柘榴さん」だ。
そうだ、私はあの少年に「十分な知識」と「新しい体」を与えられたんだ。何だか、変な感じだ。
新しい体とはいえ、傷が治っただけであまり変わっていないな…と思ったが、尾は途中から2又に裂けていた。
矢が刺さった後は残っているようだ。
しかしあの痛みはもう無いので、気にすることもないだろう。
『あまりにも遅いから探しに来たんだ。そろそろ帰らないか?』
「もうそんなに時間が経っていたんですね… わざわざありがとうございます。」
『い、いや…そんな堅苦しいこと言わなくていいぞ?急にそんなこと言われても困るなぁ…』
柘榴さんは目を逸らし、真っ赤な花の飾りをいじりながら、照れくさそうに笑った。
さてと、柘榴さんにも心配かけてしまったし…帰ろう。
「あの… ずっと思ってたんですが…」
『ん?何だい?』
「私の尾がこんな形なのに、どうしてそんなに優しくしてくれるんですか?」
『今更そんなこと聞くかー… まぁいいか。あたしは見た目より中身を選ぶタイプだからさ。
それと…
ずっと昔にさ、 …いわゆる「異形の子」を拾って、一緒に暮らしてたんだ。今はもう、1人で暮らしてるけど。
何してるかなぁ。あんたみたいにたくましく生きてるといいんだけど。』
「異形の子…?」
『そうそう、どんな子だったかは覚えてないけどさ。とにかく、「異形」ということは分かるんだ。
害を与えるような子じゃない、大人しい子だったよ。』
「…そうですか。」
柘榴さんは不思議な人だ。
このセカイにも「異形」があるということは、「妖族」がある可能性も十分にある。
私はまた「妖族」として生きているのかな。それとも普通の「獣人族」なのかな。…自分でも分からない。
それでもいい。
私はこのセカイで お母さんとお父さんの分まで 生きてみせる。
…無駄死にする人を 無くせるようにも したいな。
なんてね。
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―撫子が元いた世界では、森の中で一人の少女の亡骸が見つかったらしい―