11.ブーケを片手に
あれから数ヶ月。
大変なこともあったけど、私たちは以前のように、一つ屋根の下、二人で平和に暮らしていた。
ある日、蒼太が仕事に出かけるのを見届けたあと、退屈なので家の掃除をしていると、玄関のチャイムが鳴った。
「はあい、今行きます」
持っていた雑巾をひとまず机に置き、急ぎ気味に玄関へと向かう。そしてドアを開けると、
「ご機嫌よう」
鈴のなるような声がして、目の前には見覚えのある、花の帽子の少女の姿があった。
「あれ、こんにちは…?」
そういえば、あの一件があってから、鈴さんとは一回も連絡を取っていない。一体何の用だろうか。
「いきなり訪れて申し訳ございませんわ…。今日は渡したいものがありまして…」
そう言って彼女は持っていたブーケを私に差し出した。
「わ、ありがとうございます…、えっと、これって…?」
「お土産ですわ。私、最近まで旅行に行ってまして」
「旅行…?どこに?」
死後の世界に旅行できる場所なんてあったのか。
「ここから十時間ぐらい車で行くと、知る人ぞ知る、それはそれは美しい花畑があるの。ご存知かしら?」
「そうなんですね…!知らなかった…」
「そのブーケはそこで摘んできた花を束ねたものよ。綺麗でしょう?」
少女は私が待っているブーケを手で示しながら言った。
「ええ、綺麗ですね〜」
私が反応すると、鈴さんは言いにくそうに、
「……愛依様…、私には敬語を使わなくてもいいんですわよ…?」
と言った。
「え、でもお嬢様、だし…?」
「お金の概念が無くなった今は、庶民もお嬢様も同じ一般人ですわ。それに、このままだと少し距離を感じるじゃない…」
距離を感じる…、って、まだ敬語を使ってた蒼太に言ったことと同じだ。あのとき私は蒼太と仲良くなりたかったからそう言った。つまり…、
「それって、もしかして私と仲良くしたいってこと…?」
「…ええ、まあ、その…要するにそういうことですわ…。ああ、でも、一度でもあなたの大切な人を奪ってしまった私となんて…、もう二度と、関わるべきでは無いのかもしれないけれど…」
そこまで言うと、いきなり自信なさげになって、下を向いて黙ってしまった。彼女は小柄だから、私からは頭しか見えないけれど、表情はわからなくても、なんだか悲しそうに見えた。
「…大丈夫だよ。結局蒼太は戻ってきたんだし、もう気にしてないから!」
「…そう、なの…?私、今になって、大変なことをしでかしてしまったんじゃ、って、もう許されないと…思っておりましたの…。…でも、あなた様はお許しになってくださった…ああ、愛依様はお優しいのね…!」
鈴さんは涙声まじりにそう言いながら顔をあげた。ほのかに紅潮したその頬に、雫が伝っているのが見えた。
「わわ、本当に大丈夫だから!泣かなくていいよっ、…ねっ?」
私は慌てすぎて、何も考えずに鈴さんの頭を撫でた。花の帽子は邪魔だったので取りあげて小脇に抱えて。綺麗に整えられた髪はさらさらで、私の指がその上を滑るようだ。半分その感触を楽しみながら、半分心配しながら、まるで赤子をあやすかのように、しばらく頭を撫でていた。
「…愛依、様…?」
呟くような問いかけが聞こえて、ふと顔を見ると、鈴さんは困ったような表情で私を見上げていた。
「はっ…!?」
そこで我に帰った私は、慌てて帽子を元に戻すと、先ほどまでの無礼を謝った。そもそもお嬢様じゃなくても、そこまで親しくない人を撫でるべきではないだろう、多分。
「…いいえ、別にいいのよ…、謝らないで……」
そう呟き、鈴さんはそっぽを向いてしまった。嫌われてしまったのだろうか。私が何も言えないでいると
「ではその、ご、ごきげんよう…!」
と、吐き捨てるように言い放ち、鈴さんは帰ってしまった。
数時間後、蒼太が帰ってきてからその話をすると、
「照れちゃったんじゃない?」
と言って、コーヒーの入ったマグカップを片手に、少し笑った。
その笑顔がなんだか悲しそうに見えたのは気のせいだろうか。