10.きっと、ハッピーエンド。
「…え?」
私は耳を疑った。
人を…殺す?彼が?どうして…?
「誰を…?なんで…?」
率直な疑問をぶつけてみると、蒼太は
「…もう、言ってしまう他ないな…」
とため息をついて、赤い葉っぱ越しに空を見上げた。
「42歳、無職、鈴木正智。俺を殺した男…。あと、君が自殺する原因を作った男、だよ。」
「…な…え…?そっか…。あれ、なんで名前まで知ってるの…?私、教えたっけ…?いや、でも私だってそんなに詳しくは知らなかったし…」
“いつか殺す人について”、なんて話題で話をしたことがないから、どう反応をすればいいのかわからない。とにかく湧いて出た疑問を手当たり次第にぶつけて、情報を得ることに徹する。
「ううん、愛依からは何も…。教えてくれたのは、時雨さんなんだ。」
「…え?なんで?」
「時雨さんは、殺人を犯した人が死んだときにどう対応するかを考える仕事をしているらしくて…。それで、こっそり教えてもらったんだよ。名前と、ちょっとした個人情報と…、」
蒼太は少し考えるようなそぶりを見せた。言うかどうか迷っている様子だ。
「……あと、五日ほどすれば死後の世界に来るだろう、ってことも。鈴木…、あいつは、俺の他にも何人か殺してたらしくて、死刑が言い渡されたらしい」
死刑、か。私の大切な蒼太を殺したのだから、妥当な判決だと思った。
「……死刑にされるのに、もう一回殺すの?」
「…うん。愛依…と俺の未来を奪った罪は重いだろ」
「…殺したら、どうなるの?蒼太も殺人犯になっちゃうよ」
「…まあ、そうだね。でも、バレなきゃ犯罪にはならない。だから、完璧な計画を立てて臨むつもりだよ」
「…バレたら、お終いじゃん…。なんで、そんな無謀な…」
意味のわからないことを言う蒼太に腹が立ち、あまりにひどい言葉が思い浮かんでしまって、途中で口をつぐんだ。
「…俺だけじゃ無理があるから、鈴さんにも、毒作りとか、手伝って貰うことにしたんだけど…、それでも無謀なのは分かってるよ。だから…、せめて愛依が『殺人犯の恋人』だなんて思われないように、犯行する前に、俺が浮気したってことにして縁を切ってしまおうと思ったんだ…。見破られちゃったけど…」
蒼太がそう言い終わらないうちに、
「違う!そんな無謀なことが、私より大事になってるのが嫌なの!!縁を切ってまでやることなの!?意味わかんないし…、隠れてコソコソやってるのも腹立つ…!!やだ!!そんな蒼太、やだ…っ!!」
せっかく口をつぐんだのに、結局我慢できずに溢れ出てしまった。言ってしまってから、嫌われたらどうしよう、と言う思いが冷静になってきた頭を駆け巡る。それに、最後の方なんか、駄々をこねる子供のようで恥ずかしい。
「…そっかあ、嫌かぁ…。…俺、愛依のこと大好きだから、そんな愛依の未来を奪ったあいつが憎くてたまらなくて、殺してしまいたかった…。だけど殺したら愛依に迷惑がかかるかもしれないから…、離れなきゃって…。酷い嘘までついて…なんて、…本末転倒だよな…。」
そう言って蒼太は少し苦笑いをした。
「…馬鹿だなぁあ、俺…。なんでもっと、冷静になって考えらんなかったんだろ…。思えば、俺は愛依に出会ってから、ずっと冷静じゃなかった…」
さらさらと風が私と蒼太の頬を撫でる。蒼太の髪に光に反射して、ちらりと光ったのが見えた。
そうして過ぎていく時の中、私はただただ、独り言のように話す彼を眺めていた。
「最初に愛依に会ったときは衝撃だった…。俺の、足りない記憶をほぼ全部持ってる人に出会ったんだから…。運命だと思ったよ。本当に…。一緒に暮らし始めて、月日を重ねるたびに、君から感じる愛情は増えていくようで、…いい意味で心休まる時間が無くて…」
そうだったのか。蒼太は、私がハグをしても、キスをしても、穏やかに笑うだけだったのに…、内心では、ドキドキしっぱなしだったと考えると、少しいじらしく思った。
「あ、話がそれちゃった…。とにかく、冷静じゃなかったんだ、ごめん…。…ずっと、ずっと君と一緒にいるべきだった。もっと君を愛するべきだった。復讐なんか…、何の意味もないって、もっと早くに理解するべきだった。君を傷つけるなんてことは…あっては…いけなかった……!こんなこと、するべきじゃなかった……!!愛依、もう、許してくれなくても、いいから…、ただ、謝らせて欲しい…」
蒼太は、胡座の上に横たわるわたしの髪に触れようとする途中で、ためらうように手を止めた。
哀しそうに潤み、輪郭が歪む瞳と、私の目が合った。
「………っ…」
温かい涙が顔の横を伝うのを感じた。
「…いいよっ…許したげる…!…っでも、絶対、これからは私のそばにいてよ…!!でも、次離れたら二度と、二度と許さないから…!!」
蒼太は目を見開いて私の顔を覗き込み、言った。
「……本当にいいの…?こんなことしでかしたのに…?本当に…?」
「うん…!許したげる…、蒼太は、私の“生きがい”だから!特別に…、髪を撫でるのも許したげる…、なんて…」
「…へへ、やったあ…。…あぁ…よかった、本当に…ありがとう、愛依…。愛依のおかげで、俺、間違ったことをせずに済んだよ…。愛依の言う通り、これからはずっと一緒にいるよ。それが、俺の贖罪なんだな…、あはっ…なんて幸せなんだろう…!愛依…、愛依、…めい…!」
梳くように動く蒼太の指の間をさらり、私の髪が滑る。髪に感覚は無いはずだけど、心なしかくすぐったい。それでも、嬉しかった。
「そんなに名前呼ばなくても聞いてるよ?」
と、少しはにかんで笑ってみせると、
「…うん、分かってる。最近、全然会ってなかったから、愛依の名前、しばらく呼んでなくて…。呼び足りないっていうか、なんていうか…。好きだから。愛依も、愛依の名前も…」
と蒼太は照れくさそうに呟いた。その直後、
「……家倉様…」
後ろから、聞き覚えのある、鈴蘭のように可憐な声が聞こえてきた。
「あ…、えっ、鈴さん…!?なんでここに…、電話の前にいるって言ってたじゃ無いですか…。」
と、蒼太が振り返って言った。
「なんでも何も、帰ってくるのが遅かったので様子を見に来たのでございますわ…。…しかし、お二人ともご無事で安心致しました…」
鈴さんは、前の高飛車な話し方とは打って変わって、大人しく、上品に話していて、違和感を覚えた。これが、浮気の演技をしていない、本来の鈴さんなのだろうか。
「………あ…、それはどうも…。…あの…、ちなみに、いつから居たんですか…?」
「……家倉様が何やら佐藤様に謝罪…をされているときには、既に此処に…。だけれど、何時、話に入ればいいかわからなくて…、…ごめん…あそばせ…。」
「…………〜〜〜…っ、ぁー…、そうですかぁ…。それは……気づかなかった俺が悪いので…大丈夫です…」
さっきまでの会話を知人に聞かれたのがそんなに恥ずかしかったのか、蒼太は少し悶えた後、そう小さく呟き、目を逸らした。
「……。」
鈴さんも俯いてしまい、気まずい沈黙が流れた。
「あ、あの」
沈黙に耐えれなかったので、私はずっと聞きたかったことを聞いてみることにした。
「いつから蒼太は、鈴さんの考えた台詞を喋ってたの?鈴さんに出会ってから?それに、鈴さんも、前と喋り方が違うけど、なんで…なんですか?」
敬語って、意識して喋ろうとすると難しいということに気づいた。
「…私に会って、少ししてから、かと…。そもそも浮気の演技をすれば、自然に縁を切れるのではないか、と提案したのは私でございますし…、喋り方の件も、演じていたからに他なりませんわ…」
「…そう…なんですね…。やっぱり、演技だったんですよね…?“本当の浮気”は存在してなかったんですよね…?」
恐る恐る私が聞くと、鈴さんはにこりと笑って、
「ええ。もちろんですわ。私は、家倉様の目的のために、手助けをしたかっただけ…。もっと言えば、それで少し、暇つぶしをしたかっただけでしたの。この世界には、娯楽があまりにも少なすぎるから…」
と答えた。
「え、暇つぶし…?そんな理由で、俺の…殺人計画に付き合ってくれてたんですか?」
と蒼太。
「…可笑しいかしら?」
「……いや、でも…感謝してます。…しかし、勝手なことですが、もう…、」
「…私の助けは要らないのでしょう?ちゃんと分かってますことよ…。私も、手伝っていて、勿体無いと思っていたの。家倉様の話を聞いていると、…どう考えても、貴方は佐藤様のことを愛しているでしょうのに、縁を切るだなんて。殺人をやめてしまうこと…、そうするのが、正解だったのだと…、そう心から思いますわ」
そう言って鈴さんは、華のような笑みを浮かべて、ゆっくりと、言葉の一つ一つの意味を噛み締めるように、
「…家倉様、愛依様。どうか、お幸せに」
そう言い放った後、花の少女は去っていった。
彼女の姿が見えなくなった後、しばらくして蒼太が私を抱き抱えて、立ち上がった。
「…愛依、僕らも帰ろうか」
「…うん…!…あ…、ところで、もう歩けると思うから…、降ろしてもいいんだよ…?」
「…うん」
そう言いつつ、結局蒼太は家に着くまで降ろしてくれなかった。
続く