恋するメイプルシロップ
俺は山田洋介。ハタチ。大学生。「不器用そう」だとよく言われるが、それでも自炊できるぐらいには料理がうまいと自負している。
明日は友達が遊びに来るので、そのときに振る舞うための料理を作る材料があるかどうか、冷蔵庫の中身を確認することにした。すると、キッチンに向かっている途中、鈍い音がして、近くにあった棚に頭をぶつけた。やれやれ、モテるのはいいが、高身長すぎるのも考えものだな、と思いながらふと床に目をやると、何やら半透明の茶色い瓶が落っこちていた。ぶつけた衝撃で棚から落ちたものだろう。幸い割れてはいないようだったので、拾い上げたその瞬間、
「ちょっとあなた、どこ見て歩いてるんですか!」
という声がした。
誰だろう。俺は一人暮らしだから、今この家には俺しかいないはずだけど。キョロキョロと首を動かして、声の主を探していると、
「こっちです!!あなたの持ってる瓶です!!」
「は?」
瓶に目を向けると、
「全く、鈍いんですから。その耳は、音がどちらの方向から来ているのかも分からないんですか?こんなに近くに居るのに!」
確かにこいつの言う通り、声は瓶から聞こえてきていた。
「ええ…?だって普通、瓶がしゃべるとは思わないだろ?」
俺が困惑していると、更にこの茶瓶は捲し立てた。
「そんなことはどーでもいいんです!今、私を手に取ってくれたということは、使っていただけると言うことですよね!?」
「何言ってんだお前。棚から落ちたから拾っただけだろ」
「ええ!?棚にぶつかったのも、私しか落ちなかったのも、運命だと思ってたのに!!」
「…マジで何言ってんだよ…。…あーあ、馬鹿らし。なんなんだよこれ。幻覚?誰かの悪戯?」
「いいえ、一端のメイプルシロップがたまたま自我を持っただけです!!」
彼女(彼?)が言ったように、瓶には白の縁取りがされてある赤い文字で、「メイプルシロップ」と書いてあった。おそらく親戚の誰かがくれたものだろう。
「メイプルシロップはどう足掻いてもたまたま自我を持ったりしねーよ」
と一蹴すると、
「たまたまでないのならば運命か奇跡ですね!」
と、このシロップ風情は宣った。
「あの、提案があるのですが!」
「なんだよ」
夢か何かだと勝手に納得し、こいつの話は夢から覚めるまでの暇つぶしとして聞くことにした。
「明日、御友人に食事を振る舞われるのですよね?その時に、私を使った料理にしてくださいませんか?」
「メイプルシロップを使った料理って…俺、ホットケーキとかしか思いつかねぇんだけど。」
「いいですね!ホットケーキにしましょうよ!」
「ええ〜?俺甘いの苦手なんだよなぁ…。だからお前のこともずっと放ったらかしだったわけだし…。」
「そうだったんですかっ!?ふええ…ショックですぅ…」
瓶が湿り始めた。これは…
「…もしや泣いてる?」
「はいぃ…」
「……しゃーねえな…。俺以外の奴らは甘いの大丈夫だから…、友達の分だけホットケーキ作ればいいんだろ。」
「えー…」
湿りは止んだが、メイプルシロップは不満げな声を出した。
「なんだよ」
「私は、あなたに私を味わって欲しくて…」
「はあ…?」
「私、ずっと棚の上にいました。ずっとあなたのこと、見てました。するといつの日か、私をあなたに食べて貰いたいと強く思うようになったのです。これが私の夢なんです!私は、あなたが…その、端的に言うと…、好きなのです!!」
「…………え?」
夢だとしてもなんだこの夢。シロップに惚れられる夢?意味わかんねえな。
多少パニックになりながらも、なんとか言葉を紡ぎ出した。
「…分かったよ…。食べてやるから…」
「食べてくださるのですか!?嬉しい…!!感激です!!」
「そういやあんた、人間みたいに喋るけど、性別とかあんのか?名前は?」
「性別…?は特にないですね…。喋ると言っても所詮メイプルシロップなので!名前もないんです、もしよければ、つけてくださいますか?メイプルシロップ、でも良いのですが、少し長いでしょう?」
「あーそう…。名前ね…、よし決めた。シロ!」
「なんか犬みたいでヤです」
「え〜…じゃ、メイ?」
「…!かわいい!!それが良いです!!!」
「…あっそ…。何やってんだろ俺…。メイプルシロップに名前つけるとか冷静に考えてやべーだろ…」
とか言いながら目の前の茶瓶を見つめる。よく見ると瓶自体は茶色ではなく透明で、茶色いのは内容物だけだと言うことがわかった。光に当てると、オレンジ色に光って、少し綺麗だ。
「きゃっ!そんなに見ないで下さいぃ〜!恥ずかしいです…」
「あー、ごめんごめん。じゃ、メイプルシロップを使った料理でも調べるかー。少しでも甘さが抑えられるやつねーかなぁ」
「……なんか、好きなのは私だけ、みたいですね。あなたは私の味を、甘さを好きじゃ無いし、なんなら料理で抑えようとしてる…。私は、あなたの全てが好きなのに…」
と、手元のメイが寂しげにつぶやいたのが聞こえた。
「………やーめた。」
「?」
俺はメイの蓋を開けた。
「えっ、なに、なんですかっ?」
そのまま口元に持ってきて、瓶に口付け、一気に内容物を飲み干した。
「!!??」
「……っあ゛ーー、ゲロ甘…」
「な、え、何して…?なんで…?」
「え?だって、そのままの味を味わって欲しかったんだろ?」
「そんな、でも、ホットケーキにかけて食べる方法でもよかったんですよ…?それに、今、き、キスして、あわわ…!」
「キスぅ…?まあ確かに思い切り口付けて飲んだけどさ…。あと俺ホットケーキも嫌いだから別にいい」
「ええっ!?あなた好き嫌い多いですね…!?」
「うるせー」
「…えと…あの…、それで、どうでした?私のお味…」
「想像通りゲロ甘だったし、一気に飲むもんじゃねーな、これは。…でも、なんかそんなに嫌いな味ではなかった気がする…」
「!!!ほんとですか!?」
「気がするだけな」
「…でも、嬉しい…!!」
茶色の内容物が無くなって、透明になった瓶。心なしか、嬉しげに光っているように見えた。
「…てか、メイ、瓶が本体だったんだな」
「…あれれ…?ほ、ホントですね…?私、シロップの方だと思ってたんですが…、でも、だとしたらもうあなたのお腹の中ですもんね…?」
「なーんだ…。飲み干せばおさらばできると思ったのに…」
「なんですかそれ!?私のことなんだと思ってるんですか!?」
「鬱陶しいただの小瓶」
「鬱陶しく無いです!!ただの小瓶でも無いです!!また泣きますよ!!」
「あー、確かに…鬱陶しいのは間違いないけど、ただの小瓶では無いな、喋るし。売ったらどんぐらいの値がつくかな〜」
「売らないでぇ!」
「それはあんたの態度次第かな」
「う、売らないでくださぁいっ!お願いですからぁ〜…」
「…………はぁ…」
なぜかとても虚しくなってきたところで、目が覚めた。やはりというか、どうやら夢だったようだ。
棚のメイプルシロップ、喋り出す前に早めに処分しとくか。
おしまい