明日を夢見て
「あーあ…今日も誰も来なかった…」
おれはコックカワサキ。ここ、プププランドにある、ププビレッジというちっぽけな村で、これまたちっぽけなレストランを経営している。
はっきり言って、おれは料理に自信がない。実際、おれの作る料理はまずい。今日だって、お客は誰一人来てくれなかった。
おれは、昔から家庭科が大の苦手だった。特に調理実習。コックのおれが言うのもおかしいが、これは本当なんだ。おれに味付けをさせれば、たちまち料理はめちゃくちゃ。砂糖と塩を間違えるのなんてしょっちゅうだ。しょっぱいケーキや甘いおにぎりは、おれの得意料理のひとつだった。
そういえば、先生にものすごく塩辛いお菓子を食わせたこともあったなぁ。もちろん、おれはその後先生にこっぴどく叱られたけど。
(おれって、ろくな思い出がないなぁ…)
そう思いながら、店の外に出てのれんを下ろす。そして明日の準備を始めた。
いつもと変わらない夕べ。その日の仕事を何もかも終えた、ちょっぴり退屈だけれど、ほっと一息つける時間。今日でも明日でもないようなこの時間が、おれはなんだか好きだった。
仕込みを終えて、ふとキッチンを見渡すと、使い古したフライパンが目に映った。なんとなく手に取ってみる。懐かしい感触とともに、修業時代の記憶が甦ってきた。
裏返すと、そこには大きく書かれた「オ」の文字があった。そう、これは、おれが一人前になった印に師匠からもらったフライパン。今では特別な時にしかこれを使わないけど、おれが独立したばかりの頃はずいぶんお世話になった。
(あの頃は大変だったなぁ…)
おれはいつしか、自分がこの業界に飛び込んだ日のことを思い出していた。
おれが本格的に料理人を目指して故郷を出たのは、もう何年も前のことだ。
何を間違ったのか、おれはあれほど苦手だった料理を作ることを仕事にしようとしていた。苦手だったけど、嫌いではなかったんだろう。本当の理由は今でもよく分からないけど…。
決心はしたものの、おれは料理人になるにはどうしたらいいのか全く考えてなかった。たぶん料理の専門学校か何かに通って基礎を覚えれば、勝手に就職できるんだろう、と安易に考えていた。学校なら机に座って先生の話を聞いていればいいんだろうし、きっと楽に違いない。そう思って、近場の専門学校に通い始めた。
しかし、現実はそんなに甘くなかった。毎日が調理実習。おれにとって、これは大きな衝撃だった。
朝から晩までずーっと料理。それが一週間繰り返される。休みの日も気が抜けなかった。毎週月曜日には実技テストがあったからだ。おれにとって、この頃の生活は地獄だった。
そして、おれは入学から三か月で学校を中退した。
このままではいけない。
おれは、誰かに弟子入りすることに決めた。
その日から、おれは色々な料理の先生のところへ行って、おれを弟子にしてくれるよう頼んだ。ほとんどが門前払いだったけど…。そりゃそうか。いきなりなんだかよく分からない奴が来て「弟子にしてくれ」と言うんだから。
それでも、親切におれを弟子としてとってくれる先生もいた。その人は、おれが失敗しても気にせず、丁寧に根気強く教えてくれた。
しかし、それは最初のうちだけだった。優しかった先生も、何度も同じ失敗を繰り返すおれを見て嫌になったのか、次第にきつい口調で叱るようになった。そのうち、おれもなんだかやる気がなくなってきて、先生のいない間はさぼるようになった。案の定、それはすぐに先生にばれて、おれは破門された。弟子入りしてから半年後のことだった。
そんな感じで、おれはいつもうまくいかなかった。
(次に頼んだ先生がおれを弟子にしてくれなかったら、もうコックになるのを諦めよう)
諦める。そう考えると、ふいに気持ちが軽くなってきた。
(どうせなら、だめもとで偉い先生のところへ行って頼み込んでみようか)
おれは、すでに料理評論家として名をはせていた、コックオオサカを訪ねてみることにした。そう、今のおれの師匠だ。
「何や、あんたは」
オオサカは、おれの顔を睨んでそう言った。
「おれ、カワサキっていいます。あの、おれ、実は仕事を探してて…」
緊張してうまく言葉が出ない。
オオサカは、おれのことを上から下まで見回すと、こう言った。
「ふうん。で、あんたは料理人になりたいんか?」
「はい!」
おれはすかさず答えた。
「わしに弟子入りしたいんか?」
「はい!」
しばらく沈黙があった。
オオサカは腕組みをして軽く目をつぶっていた。何やら考えている様子だったが、心を決めたらしい。ゆっくりと目を開くと、おれの顔を見据えて言った。
「ま、おらんよりはええやろ…よし、とったる」
おれは、すぐにはその言葉を信じられなかった。
「あ、ありがとうございますっ!」
「ふん」
師匠はおれを鼻で笑うと、店に入るよう指示した。
師匠がなぜおれを弟子としてとってくれたのかは分からない。でも、おれは何とかして師匠の期待に応えようと、その日から料理の猛特訓を始めた。
師匠の授業はスパルタだ。といっても、授業と呼べるほど丁寧に教えてはくれなかった。技を盗まなくちゃならなかったんだ。つまり、師匠のやっていることを目で見て覚え、同じことをするってわけ。
師匠は普段は何も言わない。それなのに、おれがちょっとでも失敗すると、鬼のような顔で怒った。厨房に師匠のどなり声が響かない日はなかった。
そんな中、おれと一緒に修業に励む兄弟弟子がいた。名前は「コックナゴヤ」。おれより二週間くらい早く弟子入りした兄弟子だ。
ナゴヤはおれと違ってまじめだ。失敗して師匠に叱られても、すぐにまたやり直す。何度叱られてもめげない。一方のおれは、叱られてもすぐには立ち直れなかった。
おれは、自分が恥ずかしくなった。それと同時に、ナゴヤとはまだちゃんと話をしたことがないのに気づいた。
(今度暇な時に話しかけてみようかな…)
そんなことを考えながら、その日は眠りに就いた。
半年が経った。
おれは相変わらず、毎日のように師匠に怒られている。でも、以前に比べれば叱られる頻度は減ったほうだ。自分で言うのも変だけど…。
ナゴヤとは、次第に話すことが増えていった。おれたちはすぐに仲良くなり、おれは、困った時にはまずナゴヤに相談するようになった。また、師匠のいない間には、二人でこっそり師匠の悪口を言ったりしてふざけあった。故郷の言葉なのか、彼は訛りがすごくて、ときどき何を言ってるのか分からなかったけど、おれが言葉の意味を聞くと丁寧に教えてくれた。
おれたちは、お互いに無二の親友になった。
あるよく晴れた日曜日。おれたちは久しぶりに師匠に休みをもらった。
そこで、おれはナゴヤを誘って、師匠の店の近くにある丘にピクニックに出掛けた。
ぽかぽかと春の日差しが心地よい。青く透き通った空に、ひらひらと舞う蝶たち。今聞こえたのはひばりの声かな。小川では今年孵ったばかりらしい稚魚が、短い春を満喫するかのように泳いでいた。
おれたちは丘の頂上に着くと、桜の木の下でお弁当を広げた。練習がてら二人で作ったものだ。おせじにもおいしいとは言えない代物だったけど、景色のいい場所で食べると何でもおいしく感じるものだ。食べ終わった後、おれたちは気が済むまで丘の上で寝転んで過ごした。
陽が傾き、そろそろ帰ろうかという頃、ナゴヤが思い出したように言った。
「カワサキ、おみゃあ、修業を終えて一人前になったらどうするつもりでゃあ?」
「え…?」
あまりに唐突な質問だったので、すぐには答えられなかった。
「一人前になったら…」
どうするんだろ…そういえばそんなこと、考えたこともなかったなぁ…。
「おれだったら」
ナゴヤが言った。
「おれだったら、自分の店を開く。誰のものでもにゃあ、自分だけの店を」
そう言うと、ナゴヤはどこか遠い所でも見るかのように目を細めた。
(自分だけの店…そうか、ナゴヤは自分の店を持つっていう目標があるからここまで来れたんだ。それに比べておれは…)
おれはなんて情けないんだ。そうか、目標がないなら作ればいい。今からでも目標を立てよう!
そして、おれは言った。
「ナゴヤ、おれもそうするよ! 修業を終えて、一人前になったら、おれも自分の店を持つよ!」
ナゴヤは驚いたようにおれを見た。
「え…? 本当けゃあ?」
「うん、本当さ! 約束するよ!」
「よし、約束だぎゃ! おれとおみゃあと、どっちが先に店を持つか、競争だぎゃあ!」
桜の花びらの舞う中、おれたちはゆびきりをした。
それからというもの、おれは以前にも増して一生懸命修業に励むようになった。といっても、料理の腕のほうはさっぱりだった。修業で嫌なことがあっても、ナゴヤと誓った約束を思い出すことでなんとか頑張れた。
しかし、なんだか気持ちだけが空回りしているようで心配だった。ナゴヤも最近うまくいってないみたいだし…。
オオサカ師匠のもとに弟子入りしてから一年が過ぎた。
おれはいつものように身支度を済ませると、厨房に入った。
しかし、いつもいるはずの師匠の姿はなかった。
(まさか、おれたちだけで料理を作れ、ってこと?)
少し遅れてナゴヤも入ってきたが、やっぱり師匠がいないことに驚いているようだった。
「カワサキ、おれたちで作るしかないみてぇだがや」
「そうだね…」
おれは、いつもの師匠の姿を思い浮かべた。師匠がやっているようにすれば、きっとうまくいくに違いないと思ったからだ。自信はないけど、やってみるしかない。
おれたちは、必死になって調理を始めた。
完成間際、タイミングを見計らっていたかのように師匠が姿を現した。
「どけ。わしが味見する」
師匠はおれを押しのけ、鍋の前に進むと、おたまで汁をすくって飲んだ。
一口飲んだ途端、師匠の顔色が変わった。
「まずい!」
師匠はおたまを投げ捨てると、おれに向かって言った。
「まずい! まずすぎる! カワサキ、お前、今まで何を学んでおったんや! これは何や! これはお前が味付けしたんだろう!」
「はい…」
目に涙が浮かんでくる。
「アホンダラ! 今日は店を閉める!」
師匠はそれだけ言うと、鍋の中身を床へぶちまけた。そして勢いよくドアを閉めると、部屋から出ていった。
ナゴヤは、ただ茫然と師匠の去っていったほうを見つめていた。
おれは、泣いていた。泣き止もうとしても、涙はあとからあとから溢れてくる。おれは床にうずくまって、思い切り声を出して泣いた。
(師匠がおれのためにチャンスをくれたのに。せっかくのチャンスを、おれは無駄にしてしまった)
おれは、情けない気持ちでいっぱいだった。
すると、ナゴヤがそっと傍に来て、おれの手をとった。
「ナゴヤァ…料理まずいって、師匠にまた怒られたぁ…」
「えりゃあこっちゃだもー…」
「おれ、料理人に向いてないかも…修業、やめようかなぁ…」
その瞬間、ナゴヤが力いっぱいおれの顔をはたいた。
「たぁけーっ!」
びっくりして顔をあげると、ナゴヤが今まで見たこともないくらい怒っていた。
「一人前の料理人になって二人で店を持つって、約束したぎゃー!」
その言葉で、おれはナゴヤとピクニックしたあの日のことを思い出した。お互いの夢を誓い合ったあの春の日。桜の花びらの舞う中、おれたちは確かに約束した…。
「そうだったねぇ…」
おれがそう答えると、ナゴヤはいつものようににっこりとして言った。
「おれとおみゃあ、どっちが先に店を持つか、競争だぎゃあ…」
「お互い頑張ろうねぇ…」
そう言い合ううちに、いつしか涙も乾いていた。
「合格や」
次の日、店を閉める頃になって、師匠は突然そう言った。
「おめでとさん。修業はお仕舞いや。二人とも、明日から来んでええで」
あまりにも突然で、おれは何も言えなかった。
「カワサキ、ナゴヤ、お前らよう今までやってきたな。これで一年になる。もう来んでええで」
ずっと聞きたかった言葉のはずなのに、いざ聞くとあまり嬉しくなかった。なぜだろう。そう思って師匠の顔を見ると、師匠は笑っていなかった。
(そうか…師匠は…)
おれたちを追い出すつもりなんだ。
(おれたちがあまりに酷い弟子だから、破門する気なんだ。だから笑ってないんだ…)
「師匠、長い間お世話になりました。さようなら」
そう言ってその場から立ち去ろうとするおれを、師匠は引き留めた。
「待たんかい! カワサキ!」
「ひいっ!」
(怒られる!)
殴られることを覚悟し、思わず目をつぶる。しかし、師匠は殴ってはこなかった。恐る恐る目をあけると、師匠が何かを差し出した。
「ほれ、カワサキ、卒業祝いや。持って行き」
それは、ピカピカに磨かれたフライパンだった。裏を見ると、カタカナで大きく「オ」と書かれていた。
「ほれ、ナゴヤにも」
師匠はナゴヤに、やはりピカピカに磨かれた、使いやすそうな包丁一本を贈った。
「いつかそれに見合うような立派な料理人になって戻ってきぃ。ほな」
そう言って、師匠は店の奥へと去った。
「師匠!」
いくら呼んでも、それっきり師匠は出て来なかった。
その後、おれは再会を誓ってナゴヤと別れ、故郷へ帰った。
実家に帰って、これまでのことを家族に報告すると、母さんはすごく喜んでくれた。自分の店を持つ夢の話をすると、母さんは微笑んだ。父さんはすごく心配してたけど、おれは「大丈夫」とだけ答えた。
そして、このポップスターに来た時に、運良くプププランドに辿り着き、ここ、ププビレッジに自分の店を構えることができた。それからの暮らしは、今と大体同じかなぁ。
(ここまでの道は決して平坦ではなかったけれど…)
師匠にもらったフライパンを撫でながら、おれは考える。
(それでも、コックを目指したおかげで、おれは良い師匠にめぐり逢えた。無二の親友にも…)
それに、今のおれには「カービィ」という良き理解者がいる。おれのまずい料理を、おせじでなく、心からおいしいと食べてくれる友人が…。
(おれは、コックになって良かった)
今では自信を持って言える。これがおれの天職なのだと。
そして、おれは部屋の灯りを消した。
いつもと変わらない明日を夢見て。